聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2023年 2月

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、

わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。

ここに愛があります。    (ヨハネの手紙一 4章10節)

 

 お母さんは、最初からお母さんではありません。試しに少し子育てをしてみて、出来そうだからお母さんやってみようかなとはいきません。誰もが、子どもの命の誕生の瞬間からその命を守るためにお母さんをスタートさせるのです。

 お母さんは、時給でもありません。時間外労働もありません。休憩の時間もありません。24時間、365日、子どもが泣けば世話をし、毎日食事の用意をし、体を清潔にして、子どもの健やかな成長を願って日々を過ごします。

 お母さんは、幼子から「お母さん、毎日ありがとう」という言葉を求めているわけではありません。そのような思いをもって欲しいと願っているとしても、それはずっと後の時代にそんなこともあるかなって思っている位のものです。

 お母さんは、子どもからすれば「愛」そのものです。いつでも無条件、無尽蔵に「愛」を与えてくれる人であり、与えられれば与えられる程に、自分が愛されていて、自分の存在がどんなに素敵なのか、説明ではなく、その愛という形で理解しています。

 

 神様の愛は、お母さんの愛に似ています。神様は人間に命を与えてくださり、人間の命の誕生の瞬間からその命を守るために人と共におられる方です。

 神様は時給でもありませんし、時間外労働もありません。休憩もなく、24時間、365日、私たちを励まし、力付け、勇気を与えてくださいます。

 神様は人間から「神様、ありがとう」という言葉を求めているわけではありません。そのような思いをもって欲しいと願っているとしても、でも、人がそう言わないとしても神様の愛が減るわけでもありません。

 神さは、人からすれば「愛」そのものです。いつも無条件、無尽蔵に「愛」を与えてくださる方であり、その愛が人に届くように願われました。見えない神様の愛の形が見える形としてイエス様の誕生へとつながりました。

 

 イエス様を通して神様の愛が与えられれば与えられる程に、自分は愛されていて、自分の存在がどんなに素敵であり、大切にされているのかと説明ではなく、その「愛」を心で感じる時、人は一つ成長するのだと思います。

 

 お母さんと神様は似ています。でも、決定的に違うところは、神様からすれば、お母さんも子どもであり、神様から愛される存在だということです。人は母であろうと、父であろうと子であろうと、全ての人は神様から愛される存在として命が与えられました。人は「愛」がなければ生きていけません。

 聖書には「信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」と記しています。信仰以上に、希望以上に人は「愛」がある所で生きていくのです。私たちは自分を愛し、家族を愛し、隣人を大切にしながら生きていきましょう。神様の愛に包まれて生きていきましょう。