聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2023年12月24日 聖夜礼拝 説教 

2023年12月24日(日)
聖夜礼拝説教

小林美恵子
説教題

「ギフト」
聖書箇所

ヨハネ1:14「言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」

ヨハネ3:16「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」

 

Ⅰ 初めに

ヨハネⅠ:14には「言葉は肉となって、私たちの間に宿られた」という神秘的な謎めいた言葉が記されています。クリスマスの出来事は、何千年も前の出来事です。何千年も前に起こった出来事、それも世界の小さな場所で、その場所の片隅の小さな、小さな家畜小屋の中で起こった出来事なのです。
その出来事、「それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理に満ちていた」というのです。神の独り子、恵みと真理とに満ち満ちていた御方の誕生、歴史的に起こったとはいえ、何千年も前に起こった事を、世界中でいまだに祝っているのです。毎年、毎年、長い年月お祝いしてきたのです。
その家畜小屋には、マリヤと、夫ヨセフ、そして生まれたばかりの幼子が布に包まれ、飼い葉桶の中に寝かされていたのです。およそ人間の子どもが生まれるにはふさわしくない場所に、キリスト・イエスはお生まれになったのです。その知らせを受けて、その場にお祝いに駆けつけたのは、貧しく、人間扱いされていなかった羊を飼う人々だったのです。
彼らは夜も寝ずに働かなければならなかった貧しい人たちだったのです。だれからも認められず、辛い仕事を黙々とこなさなければ、食べてはいけない人。世間の片隅に追いやられ、それでも、めげずに生きていかなければならなかったのです。
その家畜小屋には光が差していたのでしょうか、その場所は明るかったのでしょうか。幼子誕生を喜ぶ顔はあったのでしょうか。多分、彼らは心から喜んでいたのです。少なくとも、両親は、一つの命の誕生を喜んでいたのです。
天使の言葉を聞いて半信半疑で駆けつけてきた羊飼いも、天使のいったとおりのことが現実に起こったのだと言うことに、感激したことでしょう。そして見、聞きしたことを、人々に語ったのです。

 

預言されていた出来事
その出来事は旧約聖書にも預言として記されていた出来事でありました。「見よ、乙女が身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」、(イザヤ7:14)「エフラタのベツレヘムよ、ユダ氏族の中で、いと小さきもの、お前の中から私のために、イスラエルを治める者が出る」(ミカ5:1)

毎年、繰り返し、繰り返し語られている、イエス・キリストの誕生物語であります。言葉は肉となって、私たちの間に宿られたその私たちの間に宿られたエスは、「私たちの病を担い、痛みを背負った御方でありました。」 私たちが神に背いたその背きの故に苦しみ、心も肉体も、刺し貫かれたのだと、聖書は語っているのです。
今、私たちが平和な思いで、暮らしているのだとすれば、それは彼が受けた懲らしめによってであり、私たちの傷がもし癒えているとするならば、彼の受けた傷によってなのですと、聖書は言うのです。彼の受けた傷が、刺し貫かれた槍の傷によって、私たちは癒やされたのですと、イザヤ書は語っているのです。
家畜小屋で生を受けたイエスの生涯は決して平坦で、穏やかな生涯ではなかったのだと思います。キリストは、権威や権力を徹底的にお嫌いになりました。差別を許さず、貧しい者、弱い者、苦しんでいる方々へ手を延べ、人々を愛し、身を粉にして他者のために生きた人物であったのです。
神の愛をこの世に示すために、十字架の上にその命を差し出し、驚くべき神の愛を示されたのです。実に、あの家畜小屋の誕生こそ、この十字架へ向かうプロローグであったのであります。
聖書はイエスの誕生について次のような力強い言葉を私たちに提示しています。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じるものが一人も
滅びないで、永遠の命を得るためである」と。Ⅲ ある一人の少女のお話
この言葉に出会い神の愛を知った人々は数えきることができないほど多くいらっしゃいます。一人の少女もそうでありました。その少女は、幼いときから、死に対する恐怖を持っていたのです。また、内面の問題も抱えていたと言います。
我が強く、周りの人たちとうまくやっていくことができないという疎外感を心の底に抱えていたのです。そしてそんな自分が許せず、とても嫌いであったのです。
でも、だれにも相談することもできず、悶々としていたといいます。
中学になったとき、お友達に誘われて、教会に行くようになります。そこは笑顔に溢れ、愛に溢れた方々がおられた、暖かい場所だったのです。あるとき牧師が神の愛を語ってくれました
「神は、イエス様をあなたのために下さったほどに、あなたを愛されているのですよ」シンプルなメッセージが伝えられたのです。自分が愛されている存在であると言うことに、大きな驚きと、ショックを受けたのです。こんな私が愛されているなんて、それも、命を賭けて愛を成就して下さったイエスさまがおられたのだ。その時、少女はイエスの十字架の愛を受け入れ、神に許しを求めました。その時彼女の心の中にもあの家畜小屋で誕生したイエス・キリストが、誕生したのです。
それは神が貴いギフトとして与えて下さったキリスト・イエスを、彼女が受け取り、受け入れた日であったのです。その時から何十年という歳月が流れました。人生という荒波にもまれながらも、どのようなときにも神の愛が、生きる力となり、今も、彼女を支え続けているといいます。

ミトコンドリア病と闘う愛ちゃんの話をご存じでしょうか。ミトコンドリアとは車のエンジンのようなものだそうです。愛ちゃんの体は、エネルギーを生み出すことができない体であり、そのような病気なのです。筋肉、心臓、脳に障害が出る病気だと言います。
今の医学では治療法、薬が見つかっていない細胞の難病なのです。

小さな冊子を読みました。お母様のちひろさんのつぶやきのような、珠玉の言葉が書き綴られています。たとえあなたが立てなくても、私たちは愛し続けます。たとえあなたが歩けなくても、私たちは愛し続けます。たとえあなたが話せなくても、私たちは愛し続けます。たとえあなたが何もできなくても、わたしたちは命ある限り愛し続けます。

だってあなたは愛されるために生まれたのだから・・・・・」
 立てなくとも、歩けなくても、話せなくても、良いのです。

たとえ、何もできなくても、そのままのわたしたちの姿を神は、愛されるのです。

「君は愛されるために生まれた 今もその愛受けている 君は愛されるために生まれた 今もその愛受けている」ちひろさん自信が受けた神の愛、そのものが語られているのです。

神は独り子を与えて下さったほどに世を愛されました。一人一人を愛しておられるのです。欠点だらけの人がいますか?自己を肯定することができないで苦しんでいる人がおられますか、ズタズタに傷ついておられる方がおられますか。悲しみで打ちのめされ、耐えられず、自暴自棄になっている人がおられますか。
もう、人生おしまいかもしれないと、先行きに、不安を抱えておられる方もいるかもしれません。でもあなたは、神の愛を受けるために「神に愛されるために、今というこの時を、生きておられるのです」

キリスト降誕から2000年以上が経っています。しかし、ベツレヘムに、何千回、何万回とキリストが、この世に誕生したといたしましても、私たちの心の中にこの、神の愛を受け入れ、心の中に、キリストを受け入れようとしないのであれば、神の愛は、無駄となるのです。むなしく、私たちの前から、消えて行く事になるのです。
神は、イエス・キリストを、ギフトとして、私たちに与えられたのです。それは天から贈られた価値ある贈り物です。どれほどの愛を持ってお一人お一人を愛しておられるのか。聖書は語っているのです。
そして私たちは、神から「ギフト」としての「この愛を」受けているのです。私たちの生は神に愛されるための生であります。愛されるために私たちは生まれてきたのです。その神の愛の表れとしてのキリスト・イエスの誕生であります。

 

Ⅳ 終わりに
だれでもが年を取り、衰え、やがてはその命の終わりを迎えるのです。その間、それぞれ
が与えられている命を抱えながら、与えられている人生の馳場を走り抜けて、やがて、天の
御国へと帰る時がやってくるのです。
聖書は「独り子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るため」、そのために、
クリスマスがある事をも伝えているのです。神はこの聖なる星降る天の彼方から、限りある
人間に、ラブコールを送り続けているのです。ギフトとしてのキリスト・イエスを、お一人、
お一人の目の前に、提示していて下さるのです。お祈り致します:愛する神さま、私たちをどれほどの愛と恵みを持って、見守り、導き、祝福していて下さるのでしょうか。感謝致します。世界は争いに満ち、差別と分断とが日常を支配しています。人類には、今こそ神の愛が、平和が必要であります。キリストの平和に満ちた世界、愛と赦しに満ちた世界が、速やかに実現することを祈るものであります。
愛されるために私たちは生まれてきたことを感謝致します。この神のご愛を心に満たし、憎しみを断ち切り、隣人を愛するものへと、この聖なる夜に私たちをお変え下さいますように、心よりお祈り致します。キリストの平和を心に抱かせて下さい。
悲しめる方々、痛みを持つ方、多くの傷を受け、未だ癒やされることのない方々の上に、神のなぐさめ、励まし、いやしをお与え下さい。イエスがお生まれになられたこの聖なる清き夜に感謝致します。イエス様のお名前によりこの祈り、御前におささげ致します。

アーメン