菊池牧師による聖書の言葉

文章はドレーパー記念幼稚園で発行する園だよりからの転載

2020年 12月

「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」 (マタイによる福音書2章10節)

「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」この星とはどんな星でしょうか。一つは占星術の学者たちと御子イエスを出会わせた星ということです。占星術の学者とは占い師とか魔術師とも言われますが、現代で言えば、天文学者気象予報士、薬剤師、自然科学者といった当時としては最先端の知識を持った人たちだったと思います。そんな彼らが夜空を見ていると、彼らの知識では考えられない特別な星を見つけたのでしょう。星を調べたところ、ユダヤの王として誕生される方の「印」と分かり、喜びに溢れて東の国から12日間の旅をして御子イエスの所へやって来たというのです。

 星は幼子のいる場所の上に止まり、家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられました。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。

 黄金、乳香、没薬は、当時、最高に価値のあるものでした。学者たちは心からの礼拝を献げました。

 私は学生の頃、A山学院大学の理工学部の図書館でアルバイトをしていました。蔵書の80%以上は、理工系の図書であり、文学書、語学書、一般書は残りの18.5%位で、キリスト教関係の書籍は多く見積もって残り1.5%位でした。その書籍を使用するのは、私と宗教主任の先生だけでした。毎週月、水、金の昼には礼拝がありました。割合に多くの学生が礼拝に出席していましたが、むしろ先生方が熱心に礼拝に出席しているのが印象的でした。文学部の礼拝よりも出席者が多いのではないかと思ったりしました。私の妻は、長嶋で有名なR教大学です。そこでも毎週礼拝が執り行われていたそうですが、当時は牧師と数名の学生の礼拝だったと聞いています。

 理工系の教授と言えば、科学の最先端を研究している人という印象があります。でもそのような研究、学問をすればするほど、自分は「知らなければならない知識すらも知らない」と思うようになり、研究のその先に果てしない未知の世界があって、自分はほんの少ししか分かっていないと自覚するのかもしれません。そして、その先の先に、神様のような存在を感じてしまうのかもしれません。

 占星術の学者たちも、星に導かれて御子イエスと出会うために旅をしたのは、自分達の知識の遥か先にある大いなる方の存在を信じていたからではないでしょうか。

 私は、毎日聖書を読み、毎日祈り、毎日教会で過ごしていますが、いつのまにか神様について分かっているような感覚になり、どこかで神様と出会う感動を忘れているようにも思います。

 神様と出会う感動を改めて取り戻すのは、やはりクリスマスの時期なのです。父なる神が、私たちのために、私たちを愛する故に、神の御計画のうちに御子イエスを誕生させて下さった。そう思うと心が高ぶります。

 御子イエスのもとへ導く星は、私たちの人生の上にも光り輝いています。人生は人と人との出会いです。親と出会い、家族と出会い、友と出会い、仲間と出会い、伴侶と出会い、出会った一人一人との間で私たちは生きています。その出会いは、私たちを神との出会いへと促す星の導きだと思います。

 今、社会はコロナ禍で暗い時期を通過中ですが、このことをも通して、ずっと先におられる方が、御子イエスを、私たちの身近な方として誕生された。この奇跡の出来事を、感動を持って受け止めて、神の愛と出会えるクリスマスを過ごしていきたいと思うのです。