聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2023年 4月

聖書の言葉         牧師 小林美恵子

「しかし、イエスはこれを見て、憤り、弟子たちに言われた『子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである』」(マルコによる福音書10:13-14)

 

 イエス様の時代、子どもや、女性は、男性とは、全く別の扱いを受けていました。人格も、人としての尊厳も認められてはいませんでした。男尊女卑の時代、家夫長制度の中にあって、子どもや、女性は、数にさえ数えられないという、考えられない時代の中に生きていたのです。

 イエスの周りには、常に大勢の群衆が押し寄せ、その話に聞き入っていました。イエスはあちこちで不思議な業を行い、精神や病を患っていた人々を癒やされたと、聖書は語っています。

 多分イエスの噂を聞きつけた病を持っている子どもの母親であろうと想像いたしますが、必死で人垣をかき分け、やっとの思いで、「触れていただくために」イエスの元に子供を連れて、たどり着いたのです。ところが、イエスが連日の奉仕と群衆の対応で、お疲れであろうと察した「弟子たちは、この人々を叱った」のでありました。

 イエスを思ってのことであろうと思われます。しかし、今度はそれを見た、イエス自身が「憤った」と聖書は語るのであります。弟子たちは、激しく人々と子供たちを叱ったようであります。それを見て憤ったイエスも、弟子のその態度と言葉に、非常に、悲しみを込めた、また、我慢できないような思いを込めて、怒りを表したのです。

 弟子たちの激しい怒りが記されていることは確かなことでありますが、弟子以上に憤った愛なるイエスを思うときに、疎外され、無視され、小さく、貧しくされている存在に対する、暖かいとびっきり愛情深い存在であるイエスの姿を私たちは知ることになるのです。

 特に「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。」の言葉に、私たちは、イエスがどれほどの愛を子どもたちに注がれておられるのか、子どもたちがイエスの元に行くことを妨げるのは、何人たりとも許されてはいないのだということを、心に刻まなければならないということを知るのです。

 

 私たちの言葉、態度、思いを敏感に感じ取り、とっさに捉えることのできる澄んだ眼を持っている子どもたちに、私たちは接しています。そしてその子どもたちの「絶対的な味方は神であります」。神の堅い守りの中に、神の愛なる御手の中で、子どもたちは生かされていることを、よくよく、知らなければならないのです。

どのような存在であろうとも、神に生かされている子どもたちの前に、私たちのすべてを、神の愛に包んでいただき、身も心も覆っていただかなければ、子どもに接し、子どもと共に成長して行くことは叶わないことなのかもしれません。愛なる神が彼らの味方なのです。