菊池牧師による聖書の言葉

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2019年 3月

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」

              マタイによる福音書28章20節

 今月の聖書の御言葉は、2018年度最後の聖書の御言葉にふさわしく、復活された主イエスが、弟子たちに語りかけた御言葉です。正確にはもう少し長くこう話されています。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

 

 主イエスは、弟子たちに「すべての民をわたしの弟子としなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、」と言われました。洗礼とは、教会で行われる洗礼式の事です。「私は、イエス様を自分の神とし、これまでの自分ではなく新しい自分として、神様と一緒に生きていきます。」と神と会衆の前で宣言して、洗礼を受ける、すなわち自他共に認めるクリスチャンになるということです。

 

 その為に弟子たちは全世界に派遣されることとなり、これまでの歴史の中でも分かることですが、300年以上もの間迫害されてもなお、洗礼を受ける人々は止むことなく、ついに現代、世界中の凡そ30%~40%はキリスト教を信じていると言われています。といっても日本に住んでいる私たちにはあまりピンとこないかもしれませんが、日本に教会があるのもキリスト教国の宣教師が、命がけで日本にやって来たからに他なりません。

 

 話しは変わりますが、主イエスが十字架につけられて死んでしまった後、弟子たちも含めた多くの人々は、これですべてが終わったと思いました。まさしく「死」によってすべてが終わったと思ったのです。弟子たちはこれからどうしようか、と考えたと思います。多くの弟子たちは、また元の生活に戻ろうと考えました。元の生活とは主イエスと共に歩んだように、神様の国を宣べ伝える福音伝道活動に戻ろうとしたのではなく、主イエスと出会う前の元の仕事、例えば漁師は漁師にというように、前の生活に戻るしかないと考えたのです。なぜなら、それが自分にとって一番楽で、自分の場所だと思うからです。

 

 先日、地域家庭学級でも少し話しましたが、私たちは子どもの頃に培った生活環境や考え方によって、それぞれに性格や個性、キャラが出来上がります。そしてその性格や個性は、生涯自分の人生に影響を与え続けます。例えば、不幸な子ども時代を生きると、自分の人生は不幸が普通であり、幸福は自分でないと思い込みます。大人となり一時期、結婚などで幸せを感じていても、それは本当の自分ではないと心のどこかで感じているので、ちょっとのことで落ち込んだりすると、やっぱり自分は不幸だと過度に思ったりする。もっと言うと、不幸な自分に戻ろうとする力が自分の中で働いて、幸いではなく、わざわざ不幸を選び取って生きている人は少なくありません。それが自分だと思っているからです。例え、マイナス方向に向いているとしてもそれが自分の場所と思うのです。しかし、そうだとすると、その人は、生涯、自分は不幸だと思って生きていくしかありません。果たしてそれが良い人生と言えるのでしょうか。

 

 洗礼を受けるとは、そのような、つい昔に戻りたい、マイナスな人生こそ私と、つい思ってしまうような自分の過去と完全に別れを告げて、全く新しくされて、神様が「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言われた言葉を受け入れ、信じて、昔に戻らない。共におられる神様に励まされて、幸いに、幸せに生きて行こうと決心する行為なのです。そのような人生を私たちは一緒に歩みたいものです。