聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2024年 5月

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

(マタイによる福音書6:33~34)

 

 新緑の季節です。若い芽吹きの色も姿も初々しく感動的です。風もまたさわやかで、グリーンの香りがそこはかとなく漂い心も弾んで来ます。が、そうばかり、のんきなことも言っていられない季節のようです。

 「5月病」、もうすっかりお馴染みの名前ですが、これは正式名ではなく俗称だと言います。ゴールデンウイーク明け頃から学生や新人社員たちが無気力になってしまうのだそうです。例えば、目標に向かい、多くの事を犠牲にして、一生懸命に頑張って来た学生。念願の学校に入り、その後の目標を見失ってしまうのでしょうか。また、初々しい新入社員。それを迎える側の配慮不足や、思いやり、愛の無さによって、抱いていた、夢も希望も砕かれ、心も体も疲弊させてゆく。

 何かを成し遂げた後の脱力感は、誰しもが経験する所ではあります。一直線に走り続けてきた人たちは、多かれ少なかれそのような状態に陥りがちであります。誰でもが「五月病」の予備群なのです。焦らず、ゆっくり休んで、心と体をリフレッシュさせてほしいと思います。人生、始まったばかりなのです。

 

 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」聖書は私たちに、「何よりも、まず、求めなさい」と語り掛けています。何を求めるのか「神の国」そして「神の義」であります。神の国はわたしたちが思い浮かべ、想像出来る、最も善であり、安らかであり、平和、そして美しい所でありましょう。しかし、イエスは、神の国は、あなた方のすぐ側に存在しているのだよとも言われるのです。神の国はわたしたちの「ただ中に在る」というのです。

 わたしたちが造り出す人間関係、社会との関係、世界との関係の中に、そのすぐそばに神の国は造り出されるのです。そして神の義とは何でしょうか。神の正義でしょうか。確かにそれもありますが、聖書は「神の義」と言う時には、人間と神との関係性を示唆しているのです。私たちの思いが神に向かっているのか。神を信頼しているのか。神に全てを委ねて生きているのか。を問うているのです。

 ですから、何よりも、私たちが求め、人として生きてゆくうえで、必要であると思えることは、人間的にどのような状態にあるのか、どのような状況の中に置かれているのかと言う事ではないのです。神の最善を求め、神がくださる安らぎに感謝し、神の示してくださる平和を願い求める事であります。そしてそれは、何を、信頼しているのか、何に思いを託しているのか、どこに視点があるのか、どこに向かって生きようとしているのか。と言う事なのではないでしょうか。

 

 私たちが生きなければならない世には悩みが絶えません。確かに「5月病」のように脱力感、無力感、を感じることがあり、無気力な日々を経験したりもするのです。しかし、聖書は「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」と私たちを励ましています。「明日のことまで思い悩むな」と言っているのです。「その日の苦労は、その日だけで十分である。」何という慰めに満ち、慈愛に満ちている言葉でしょうか。

今日、私たちは十分な苦労をしたのです。

明日には「明日」という名の希望と喜びが待っているのです。祝福を祈ります。