聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2025年4月からは小河牧師 開始から2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林牧師による文章です。

2026年 6月

 

「光の子として歩みなさい。」

エフェソの信徒への手紙6章8節

 

イエス様は「まことの光」として私たちの住む世界に来てくださいました。「まことの光」はこの世の闇がどんなに深く、暗くとも、闇の中で輝き、私たちに希望を与え、私たちを光射す方に向かって歩ませてくださいます。

6月は「子どもの日・花の日」礼拝があります。その始まりはイエス様を信じる教会の人たちが、神さまが様々な種類の花々に美しい花を咲かせてくださっているように、子どもたちが神さまの愛に守られて健やかに成長することを願って礼拝を献げたことにあります。

イエス様は、一人一人の人生を共に歩んでくださるお方です。イエス様が共におられることを知っている人は、みんな「光の子」です。

 

2026年 5月

 「これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。」

                 マルコによる福音書12章11節

 イエス・キリストは、当時のイスラエルの指導者たちから排斥され、人々からも見捨てられ、十字架にかけられて死なれましたが、神さまは、そのイエス・キリストを復活させ、教会の礎となさいました。イエス様は旧約聖書に記された御言葉、「家を建てる者の退けた石が隅の親石となった。これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと」(詩編118:22-23)を引用してそのことを預言されました。

 この御言葉は、建築で一度捨てられた石が最終的に最も重要な支えの石となったように、神さまは人の目には不要に見えるものを、最も重要なものとされたことを教えています。自分にとって不要なものでも、誰かにとっては必要なもの、宝物になることがあるように、神さまのなさることはとても不思議なのです。

 

2026年 4月

聖書の言葉                     牧師 小河 由美子

 「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」

マタイによる福音書14章27節

 

 一日の活動が終わり、弟子たちだけが先に舟に乗り、ガリラヤ湖の向こう岸に向かっていた時のことです。逆風が吹き、波に悩まされ、前に進むことができなくなりました。舟はすでに陸からずいぶん離れており、後戻りもできない状況です。

 彼らは一晩中強い風に悩まされ、そうとう疲れ果てていたと思います。夜が明けるころ、イエス様が湖の上を歩いて弟子たちが乗っている舟に近づいて来られました。弟子たちはイエス様だとはわからず、「幽霊だ」と恐怖の叫び声をあげました。

 すると、イエス様はすぐに「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と声をかけてくださいました。弟子たちはイエス様を信頼することの大切さを教えられた後、風を静めてくださったイエス様と共に無事に目的地に辿り着くことができました。

 私たちの人生にも逆風は起こることがあります。にっちもさっちもいかない状況になった時、そのような時こそ心を静め、イエス様が共にいてくださることを思い出してください。イエス様は助けを求める人に救いの手を伸ばしてくださる御方です。静まってイエス様がそこから救い出してくださる時を待ち望みたいと願います。

2026年 3月

「主が一歩一歩を備えてくださる。」  旧約聖書:箴言16章9節

 

旧約聖書にある『箴言』には、ダビデの後継者で賢者として有名なソロモン王によって書かれた人生の教訓や、いましめとしての短い言葉が記されています。『箴言』には、ためになることがたくさん書かれていて、読むと賢くなる気がします。

同じ16章3節に「あなたの業を主にゆだねれば 計らうことは固く立つ」という言葉があります。自分が成そうとしていることに対して最善の努力を尽くし、自分にできることをしたら、あとはお祈りして、神さまにお任せすれば、願っている事柄が実現するための「一歩一歩を」を神さまが備えてくださり、その一歩一歩を用いて神さまがその計画を成し遂げてくださると教えています。

もうすぐ新しい年度を迎えます。とりわけ小学校に入学する子どもたちは不安とワクワクの両方を感じておられると思います。でも大丈夫です。これからの新しい歩みを神さまが祝福し、その一歩一歩を備えていてくださることでしょう。

 

 

2月 2026年

 聖書の言葉                     牧師 小河 由美子

  「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」

ヨハネによる福音書15章12節

 

 旧約聖書には、神さまを信じる者として守るべき掟がいろいろ書かれていますが、イエス様はそれらを全部まとめて、「互いに愛し合いなさい。」と新しい掟を与えられました。私たちが「互いに愛し合う」ことによって、私たちの神さまへの愛が表されているからです。では「互いに愛し合う」には、どのようにすれば良いのでしょうか。

 イエス様は「わたしがあなたがたを愛したように」と説明されています。そして「わたしは仕えられるためではなく、仕えるために来た」、だからあなたがたも互いに仕え合うようにと教えておられます。しかし、そのようにしたいと願っても、人にはお互いの感情もありますし、できることと、できないことがあります。ですから一人一人の存在を大切に思いつつ、自分にできることをしていくことなのではないかと思います。

それでも無理なときは、正直にイエス様に「今は無理です。」と伝え、その人のためにイエス様のお守りをお祈りいたしましょう。

1月 2026年

「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」

ルカによる福音書2章52節

 

 ルカによる福音書2章41節以降に、イエス様が12歳の時の出来事が記されています。イエス様の家族が村の人々と共にエルサレムの過ぎ越しの祭りに行った時の話なのですが、祭りが終わって皆と一緒に帰り道を一日分の道のりを歩いてから両親はイエス様がいないことに気づき、一生懸命捜しながら再びエルサレムの町に戻り3日後にやっと神殿でイエス様を見つけることができました。

 その時、イエス様は聖書学者たちの真ん中に座り、聖書の言葉について問答をしていました。そこには親の心配をよそに充実した時間を過ごしていたイエス様の姿が描かれています。イエス様は神殿で天の父との親子の交わりの時を過ごしておられたのです。

 この後、イエス様は父ヨセフと母マリアと共にナザレの村に帰り、両親に仕えて過ごされました。イエス様は神さまの言葉によって知恵が増し加えられ、神と人とに愛されて成長していかれました。聖書は人に知恵を与え、神さまに愛されていることを悟らせ、成長へと導いてくださる神の言葉です。          

2025年 12月

                       牧師 小河 由美子

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」

 この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

マタイによる福音書1章23節

 

 子どもの頃、クリスマスは金、銀、赤、あるいは緑の色で装飾された靴下の形をしたかわいい容器に入ったお菓子とケーキを食べることができる楽しみな日でした。また、クリスマスにはプレゼントをいただいたりします。通常、プレゼントはお誕生日の人に差し上げるものなのに、なぜ私たちがプレゼントをもらったり、友人にあげたりするのでしょうか。不思議に思ったことはありませんか?

 実はクリスマスは、神さまが私たちにイエス様をプレゼントしてくださった記念の日です。だから、その神さまの御愛と御恵みに感謝して、互いにその喜びを分かち合うのです。

「神は我々と共におられる」、そのことがイエス様によって実現しました。イエス様はいつも、どんな時にも私たちと共にいてくださる神の御子です。私たちはイエス様のお誕生のお祝いにどのようなプレゼントをお贈りすることができるでしょうか。まごころを込めてクリスマス礼拝をお献げしたいと願います。