紫陽花の花が美しい季節です。紫陽花の花の色、形は様々です。多くの種類があるようですが、私が知っているのはせいぜい、ガクアジサイ、ヤマアジサイ、カシワバアジサイぐらいでしょうか。その色は青、紫、ピンク、白、緑などもあり、うっとうしい季節に私たちの目を楽しませてくれています。
しかし、一つの花の色が微妙に変化することから、その花言葉は、心変わりとか、移り気とか言うそうです。あまり良いイメージの花言葉ではないようです。コロコロと心が変化するのは困ったものですが、わが夫は、人間とはそういう存在、人の心は変わるものであると、堂々と、のたもうのです。
確かに人の心は変化致します。でも約束したこと、取り決めて共に納得していることに関してその定義を使用されたら、たまったものではありません。こちらはそのつもりで約束していたことを予定しているのに、ドタキャンされるのです。「人の心は変わるもの」心変わりしたのですね!!人間ですから、「はいはい」と、引き下がるしかないのです。
聖書には、180度心変わりしたパウロという人物が登場致します。彼はユダヤ教を信じる原理的な信徒でありました。キリスト教に対して、徹底的に迫害の手を伸ばし、キリスト者を捕らえ牢に入れることを生きがいにしていたような人物であったのです。
そんな彼が、キリスト者の男女を問わず縛り上げエルサレムに連行するために、ダマスコに近づいていた時に、突然天からの光が彼の周りを照らしたのです。彼は地に倒れ「なぜ私を迫害するのか」とのイエスの声を聞いたといいます。パウロは地面から起き上がって目を開けますが、何も見ることができなくなっていたのです。
三日間、目が見えず、何も飲食する事ができなかったのです。彼はその後、キリスト教の洗礼を受け、キリストのため、福音のためならどんなことでもすると、人生180度の転換、心の大転換をなしたのです。聖書が語るキリストとの出会い、パウロ回心の出来事です。
人は変わる者である、とは然りであります。その後のパウロの人生は誠に凄まじいものであります。迫害の時代、多くの教会建設に携わり、巡回伝道師として福音を語り、各教会に手紙を書き、キリスト者を励まし、慰め、自分は、多くの苦難、艱難に遭い、投獄され、鞭打たれ、それでも「十字架の言葉は・・・・わたしたち救われる者には神の力です」と語り続けたのです。神学者としてのパウロは神学を組織立て、パウロがいなければ、今日、キリスト教は全世界には行き渡らなかったであろうとさえ言われているのです。
わたしたちも変わることができるのです。まして小さなお子様は、変わるチャンスに満ちあふれています。一喜一憂することなく、さなぎが蝶になり、やがて羽ばたいて大空に飛び立つことを信じて、ありのままの小さな成長を喜び、感謝して受け入れて行きたいものです。
祝福を祈ります。