聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2022年 11月

「では、わたしの隣人とは誰ですか」  (ルカによる福音書10章29節)

 

 ユダヤ教の専門家が主イエスを試すために聞きました。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことが出来るでしょうか。」主は「律法には何と書いてあるのか」と言われると彼は「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」と答えました。

 イエス様は「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすればあなたは命を得るであろう。」と教えられました。でも、彼は自分を正当化しようとして「では、わたしの隣人とは誰ですか」と改めて聞いたのです。

 そこで主は「善いサマリア人のたとえ」を話されました。ある人が旅をしている途中、山の中で追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまそこを通りかかったが、その人を見ると道の向こう側を通って行ってしまった。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行ってしまった。ところが、そこに旅をしていたサマリア人が通りかかり、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。翌日、銀貨二枚を出して、宿屋の主人に渡して言った。「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」このようなたとえ話です。

 主イエスは改めて聞きました。さて、あなたはこの三人の中でだれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」専門家は答えました。「その人を助けた人です」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい」

 追いはぎに襲われた人の側を通った一人目は祭司です。今でいえば牧師と言っても良いでしょう。二人目はレビ人です。この人は祭司を助ける大切な仕事を担う特別な人です。二人とも襲われた人を横目で見ながら、知らんふりして通り過ぎてしまいました。介抱していたら自分も追いはぎに襲われるかもと思ったかもしれません。いずれにしても助けませんでした。三人目のサマリア人は、当時同じ民族でありながらも、差別され、蔑まされていた人でした。ユダヤ人はサマリア人とは言葉も交わさず、近寄りもしませんでした。  でも、サマリア人は彼を助け、自分のろばに乗せ、宿屋で介抱し、宿屋の主人に銀貨を渡すことさえしました。三人の中で、追いはぎに合った人の隣人になったのは間違いなくサマリア人です。主イエスユダヤ教の専門家に「あなたも同じようにしなさい」と話されました。そして、この御言葉を読む、私たちに対しても「あなたも同じようにしなさい」と伝えている訳です。

 主イエスは、わたしの隣人とは誰ですか?と聞かれたのに対して、「あなたは誰の隣人になろうとしているのか?」と問い直しています。私たちは誰の隣人になれるでしょうか。誰の隣人になれないのでしょうか。頭に思い浮かべてみると、そこに自分の人生の課題が見えてくるかもしれません。

 神様は、私たち一人一人の隣人となるために主イエスをこの世に誕生させてくださいました。それが私たち人間の幸せと平和への道だったからです。憎しみは破壊と破滅を生み出します。主イエスを知る私たちは神を愛し、隣人を愛して生きていきたいものです。