菊池牧師による聖書の言葉

文章はドレーパー記念幼稚園で発行する園だよりからの転載

2022年 1月

「光の子として歩みなさい。」   

(エフェソの信徒への手紙5章8節)

 聖書を読むとエルサレムに神殿が三度建設されたことが記されています。一度目は紀元前10世紀にソロモン王が建設した神殿、二度目は紀元前510年ごろに建設され、三度目は紀元前20年ごろに二度目の神殿の大改修という形で建設されました。イエス様が誕生された時代は、三度目の神殿が建てられていた時代でした。

 ソロモン王の前の時代までは幕屋といって、いわば大きなテントが神殿の代わりを務めていました。ソロモンの父であるダビデ王は、神殿を建てたいと願い、準備しましたが生前には完成せず、それをソロモンが受け継ぎ、二代にわたる願いが叶ったことになります。

 ソロモンの神殿が完成した時、ソロモンは神に感謝し祈りました。祈りが終わった時、「天から火が降って、焼き尽くす献げ物といけにえを、ひとなめにし、『主の栄光』が神殿に満ちた」とあります。そのあまりにも光輝く神殿を前にして、祭司の誰も神殿に入ることが出来なかった様子が聖書に記されています。

 「光の子として歩みなさい」とは神殿に満ちた『主の栄光』、つまり神様の輝きを受け入れて歩みなさいという意味です。この主の栄光は、御子イエスが誕生された時、寝ずの番をしていた羊飼いの所にも現れました。「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らした」と記されています。羊飼いは当初恐れましたが、次第に恐れが喜びに変わり、力を得て、誕生した御子イエスのもとへ向かい、飼い葉桶に寝ていた御子を見つけ、喜びにあふれた様子が記されています。

 主の栄光に照らされると人は力が出てきます。なぜなら神様は私たちの命の根源だからです。命の根源から、命のエネルギーを受けて「光の子」とされるのです。

 大切な点は、光のもとは神様にあるというところです。幼い子供たちは、自分の父親、母親こそが光の根源だと思っています。そう思うのは当然ですし、私もそう思いながら育ちました。でも、私たち人間は誰もが完全ではありません。母親も父親も完全からは程遠く、時にはウソをついたり、不用意に傷つく言葉を用いたり、喧嘩することもあります。

 幼子は、必然的にそのような姿を見ながら成長していくのですが、自分の親こそが光の根源だと思いすぎて育った子は、思春期になるにしたがって、いわゆる「反抗期」と呼ばれる現象が強くなるようです。親は光の根源ではないと理解してくるからです。

 人間は誰であろうと光の根源にはなれません。そのことを受け入れ、神様の光を沢山受けて、神様の光で輝くようにしましょう。その輝きを保つ人は、家族を幸いにし、子どもたちに祝福をもたらします。イエス様は「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」と話されました。その光をたっぷりと受けて、豊かな実りをもたらす2022年を生きてまいりましょう。