菊池牧師による聖書の言葉

文章はドレーパー記念幼稚園で発行する園だよりからの転載

2022年 2月

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共になきなさい。」   

                (ローマの信徒への手紙12章15節)

 

 私にはイエス様を知らなかった人生と、イエス様を知った人生の二つの人生があります。イエス様を知らなかった頃の自分の写真を見ると、そこに笑顔はありません。父親が彫刻家で、気難しい人でしたが経済観念がほぼなくいつも貧しい生活でした。裕福な家の友達が羨ましいと思っていました。バイクに乗って高校に来る友達が羨ましいと思っていました。塾に生ける友達が羨ましいと思っていました。家が貧しいので自分の願いの殆どは叶わないと思っていました。人生はつまらないものだと思っていました。

 自分の人生が上手くいかないのは、家庭のせいであり、親のせいであり、社会のせいだと思って生きていました。どんなことをしてもどうせダメだろうと思っていました。

 その頃の私の心は、喜ぶ人を見ては悔しくなり、大学に合格した友を見ては悲しくなり、とても一緒に喜びあうことは出来ませんでした。そういう自分であったと思います。

 イエス様を知った時、自分も神様の目から見たらものすごく愛されていることが分かりました。愛されていたのに家庭のせいにして、親のせいにして、社会のせいにして諦めていた自分の愚かさを知りました。上手くいかないのなら、上手くいくように生きていけば良いのだと分かった時、嬉しさと共にやる気も出てきて、人生で初めて前を向けたように思います。とはいえ「前を向いて生きていこう」と決心しても、周りの社会状況も変わらず、貧しい生活も変わりません。でも、決心して教会に通い、牧師と話し、信仰の友も出来、心から生きてきて良かったと思うようになっていました。相変わらず生活には苦慮していましたが、それすらも気にならなくなりました。その頃、やっと私は「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣くこと」が出来るようになって来ていたと思います。

 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣ける人は、自分を喜んでいる人です。他人と比較しながら自分のポジションを決める人でもなく、優越感や劣等感に悩まされる人でもなく、悲観的、否定的に生きる人でもありません。

 生きていると、言葉に表し尽くし得ない色々な出来事が起こります。その出来事に心も体も翻弄される時もあります。でも、どんな時も自分は神様に愛され、祝福を受けていると感じられるなら大丈夫です。私たちの人生は一度きり、人生は常に練習無しの本番舞台です。その主人公はあなたです。誰とも比較しない、比較できない、あなたならではの生き方を豊かに生きていきましょう。

 新型コロナウィルス感染により、もしかしたら2月は過去最高の感染者数になるかもしれません。もはやだれが感染しても不思議ではありません。緊張と不安の中での毎日です。でも、「全ての事が共に働いて益となる」と聖書にはあります。

今日も前を向いて生きていきましょう。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣ける人として生きていきましょう。