菊池牧師による聖書の言葉

文章はドレーパー記念幼稚園で発行する園だよりからの転載

2021年 12月

「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」   

ルカによる福音書1編28節)

 

 クリスマス前の四週間をアドベントと言います。「到来」という意味です。私たちは神様に近づくことが出来ないので、神様が私たちに近づいてくださった。具体的には神の御子イエス・キリストが私たちの世界に誕生された、その誕生を待ち望む期間がアドベントです。

 神の御子の到来を初めて聞いた人が御子イエスの母となるマリアです。マリアはイスラエルガリラヤ地方と呼ばれる地域の、更にナザレと呼ばれた小さな村に住んでいました。マリアの前に、突然、神の使いガブリエルが現れて「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と告げたのです。マリアは驚き、戸惑い、どうしたことかと思ったでしょう。更に天の使いは「あなたは身ごもって男の子を産む、その子をイエスと名付けなさい」と伝えました。マリアは「どうしてそのようなことがあるでしょうか。わたしは男の人を知りませんのに」と答えます。天の使いは「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。神にできないことは何一つない。」と伝えました。 

 マリアにとってみれば、とんでもないことでした。マリアはこれから夫となるヨセフと婚約していましたし、ささやかでも愛に満ちて、幸いな家庭をと望んでいたことでしょう。天使の御言葉はそのような幸いを打ち砕く危機にもつながりかねません。でもマリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」と答えました。天の使いは満足して天に去っていきました。

 なぜ天の使いは、マリアの所に現れたのでしょうか。聖書にはマリアについての情報は殆どなにもありません。顔かたちが優れていたとか、地域で評判の良く出来た人であったとか、神に対する信頼は誰よりも優れていたとか、そんな言葉は一切ありません。意図して、何も情報を記さなかったのかもしれないとさえ思います。

 でも、神様はマリアを選び、天の使いは「おめでとう、恵まれた方」と伝えました。上述したように天の使いの言葉はマリアにとって果たして本当にめでたいのかどうかわかりません。むしろ、「とんでもない!遠慮しておきます。」とか「ほかの方にお願いします!」と言いたくなるのではないでしょうか。でも、マリアは神様の「おめでとう」を受け入れました。「お言葉通り、この身になりますように」と答えました。

 マリアは神様のお働きが、これからの将来、自分や自分の家族、あるいは隣人にとっても必ず益となり、幸いになるであろうと信じたのだと思います。聖書には「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」と記されています。

 神様を信じるとは、過去のあのこと、このことで判断したり、振り回される生き方をするのではなく、将来に起こる幸いを信じて今を生きることです。そのような生き方は人を前向き、肯定的にします。マリアはそのような生き方を生きていたと思います。私たちも今年のクリスマス、そんなふうにして過ごしていきたいものです。