聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2020年 5月

「あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」  

 (イザヤ書43章1節)

 

 聖書の最初は「創世記」です。その最初の言葉は「初めに、神は天地を創造された」という御言葉です。地は、私たちが住んでいる地上世界、天は、空というよりは宇宙全体と考えれば良いでしょう。誰が見ていたの?と質問したくなりますが(笑)わたしも答えられません。歴史的、時間的な意味として考えてみても答えは出て来ません。大切なところは、天と地の造り主は、神であるというところです。

 神はどのようにして天地を造られたかというと、七日かけて造られました。一日目、「光あれ」と言われました。光がありました。二日目、「水の中に大空あれ」と言われました。すると海と空が出来上がりました。三日目は「天の下の水は一つ所に集まれ、乾いた所が現れよ」と言われました。海と陸が出来上がりました。四日目は太陽、月、星を造られて昼と夜と分けられました。五日目は海には魚、陸に動物、空には鳥を創造されました。そして、六日目に、土の塵で人を造られました。聖書の文字であるヘブライ語では土をADAMA(アダマ)と言います。アダマからADAMU(アダム・人間)が造られたわけです。

 全てを造り上げられた神は七日目に休まれました。神様が休まれたのですから、私たち人間も休みはとても大切です。

 神様は、アダムをエデンの園に住まわせました。アダムは耕し、園を守るようにされました。その後、「主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を人のところへ持って来て、人がそれぞれどう呼ぶかを見ておられた。」と記されています。

 つまり、私たちの世界の獣、鳥に名前を付けたのは人間です。昔、先輩牧師から「名前を付けるということは、責任が伴う」という話しを聞いて、とても納得したことを覚えています。

 私たち人間は、この世の全ての物に名前を付けます。名前が無い動物、植物があったとしたら新発見と言われ、必ず何かの名前が付けられます。名前を付ける側には責任があると私も思います。

 子どもが生まれると必ず名前を付けます。お子さんが生まれた時に、喜びと共にどんな名前にしようかと悩まれた方も多いでしょう。悩んだことさえも良い思い出となりますが、名前を付けられた側に対して、名前を付けた側には責任が伴います。つまり親は子に対して責任があります。家族として受け入れた証拠です。ペットにも必ず名前を付けます。ただの犬や猫ではなく、名前を付けたら家族の一員です。

 どのような責任かというと、愛情をもって関わりを持ち、育てる責任です。

大切なことは、名前を付けた側が付けられた側を支配出来るわけではありません。親が子を支配出来るわけではありません。昔のキリスト教の考え方の中に、自然や動物を人が支配出来るという考え方がありました。人が全ての物に名前を付けたからという理由です。それ故に、西欧社会は、文化の向上と共に自然、環境が破壊されるという悲劇が生まれました。今ではむしろ、日本以上に自然、環境に気を使っていると言えます。人は、動物、自然と縦の関係ではなく、共に神様に造られた横の関係であると気が付いて来たからです。そのように本来親も子も縦関係ではなく、横関係であると私は思っています。

 よく「躾(しつけ)が大事」という言葉を聞きますが、躾けるよりは、横関係の中で、愛情をもって名前を呼びつつ、関わりを持っていきたいものです。神様は、ついに神と人との縦関係を止められようとして、主イエスという方を私たちの世界に誕生させられました。主イエスは神の子でありながら、人々と共に歩まれ、人々と共に過ごされ、神の愛の姿を示してくださいました。私たちも、これから少しずつ聖書に触れながら、神様の愛を感じて生きていきたいと願っています。愛の子育てを目指して励んでいきましょう。皆様、自粛疲れが出ませんようにとお祈りしております。