菊池牧師による聖書の言葉

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2020年 1月

わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」

                      フィリピの信徒への手紙4章13節

 皆さん、新年明けましておめでとうございます。

 古くからの友人の牧師からメールがありまして、年末から年始にかけて、親子でノロウィルスに感染し、腹痛でずっと寝込んでいたというのです。布団の中で色々と思いを馳せていたというのです。寝込みながら色々と将来について考えたというのです。自分も既に57歳となってどこまで生きられるか分からない、どこまで現役を過ごせるのかわからない、だからこれからは大切な残された時間を慎重に生きていきたいというのです。その文章を読みまして、私はなんだかいつもの超元気な彼らしくないな、腹痛から少し気持ちが落ちているのかな?と思いまして、私は今年で59歳だけど、後40年どうやって生きようか楽しみでワクワクしています。と記しました。

 すると帰って来たのは、これからの時代は少しも楽しみではなく、国はこれから政策の失敗で経済破綻を起こすだろうし、私たちの年代の年金は続く望みは薄いし、介護保険のような保障は絶望的であるかのような文章がきました。私は、あら~!凄い後ろ向き!と思いまして、格付けの時の「ガクト風」(分かる人には分かる(笑))に「よし来た!」と返しましたら、大受けしたようでした。

 私たちが生きていく中で、大事なものは沢山あると思います。健康保険や年金、保証、保険も大切です。「万が一」の時に「良かった」と思えるものがあると私たちは安心して生きていけるでしょう。けれど、私たちはいつの間にかそのような制度や保険、保証にこそ頼ってしまっているのではないでしょうか。年金や保険、月々の支払は、侮れない金額のようにも思いますし、何よりも、そのような制度は、私たちの人生に「よし来た!」と思える感情を与えているわけではありません。

 だから、「よし来た!」と思えるように生きるために必要なことは何か、「わたしにはすべてが可能です。」とまで思えるように生きるためにはどうすれば良いのか?となりますが、今月の聖書箇所の少し前にこんな御言葉があります。「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」

 ここに「なすべきことはただ一つ」とあります。「目標を目指してひたすら走ることです。」とあります。私のお正月の楽しみは、箱根駅伝でした。どの大学の学生も目標を目指してひたすらに走り続けていました。今年も沢山の感動がありました。走り続けることで目標がどんどん近づいてくるのです。

 「すべてが可能ではない」理由を私たちはいくらでも上げることが出来ます。年だから、社会的保障が無いから、将来の不安だから、時間が無い、お金が無い、能力が無い、環境が悪い、人の協力が無い、理解してもらえない、いくらでも言えるでしょう。でも、可能と思える人は、理由がありません。ひたすら走り続けているからです。そして、しっかりと目標を持っているからです。

 あなたは自分の子ども達にどんな親の姿を見せたいと思いますか。出来るなら、目標を目指してひたすら走り続ける姿を見せたいと思いませんか。このように生きていきなさいと言葉ではなく、その生き様で見せたいと思いませんか。すべては可能だと子どもが思える生き方を生きたいと思いませんか。そう思われるなら、この新年に行うことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前を見て走り出すだけです。