聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2019年 2月

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」

                  ローマの信徒への手紙12章15節

ある、ベテランで有名な俳優さんがいました。舞台稽古をしていた時に、新人の俳優さんが声をかけました。「靴の紐がほどけていますよ。」俳優さんは「ありがとう」と言って、ひもを結びました。でも、また暫くして、新人の俳優さんが、気が付いて話しかけました。「靴の紐がほどけていますよ。」また、「ありがとう」と答えて紐を結びました。そんなやり取りを見ていた別の人が聞いて来ました。「どうして紐がほどけるのですか?」するとベテランの俳優さんは、「いや、別にほどけるのではないのです。この場面は、長い旅の後、やっとの思いで疲れて帰ってきた場面だから、紐がほどけていたほうがこの場面に合うと思ってやっているのですよ。」「だったら、そう言って新人の方に説明したらよいではありませんか?」と聞くと、「私が説明してしまうと、あの人はもう二度と私に注意してくれなくなります。それがもったいないのです。」と言ったそうです。

ベテランで有名であればあるほど、周りは注意してくれなくなります。注意されないと、人はいつの間にか鼻高さんになって、これで良いと思うし、スキが出たり、脇が甘くなったりします。そのことを良く知っていたのでしょう。あるいは新人の俳優さんに対して、感謝しながらも、無言で芝居というものを教えようとしたのかもしれません。

今月の聖書の御言葉は「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」という御言葉です。とても素敵な御言葉だと思います。こんなふうに生きていきたいと誰もが思われるのではないでしょうか。でも、そのように生きるために必要なことは、自分が喜んでいる人と同じ目線、泣いている人と同じ目線にならなければなりません。

親であれば、子の目線にまで下がって初めて一緒に喜んだり、泣いたりする。幼児に対しては案外上手にできるのですが、小学生の子、中学生の子、もっと大きな子に対してはどうでしょうか。あるいは夫や妻に対してはどうでしょうか。年老いて力を失っている親に対してはどうでしょうか。我が家は認知症になっている母親と一緒に住んでいますが、母親と同じ目線になり、一緒に喜んだり、一緒に泣いたりするのは相当の忍耐と、平安な心が求められます。こちら側に余裕が無ければ無いほどに、つい、冷たく当たってしまいます。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」のは、思っているより簡単ではありません。でも、だからこそ、時にはそのように出来ていない私たちの心を良くご存知で、尚、その思いを受け止めて「あなたは精一杯やっているのだから、大丈夫だよ。」と励まし続けて下さる方がいることを私たちは忘れてはならないと思います。

一緒に喜べなかったり、一緒に泣けなかったりするとき、どうも人間関係がギクシャクします。ギクシャクするのは、喧嘩の前兆です。それは国と国の間にあっても、夫婦でも、親子でも、家族でも同じことではないでしょうか。一緒に喜べると、「私たちはいつも一緒だね~」と笑顔が出るし、一緒に泣けたなら、悲しみは半減するのです。そして、人生色々な事があるとしても、一緒に喜べる人がいる、一緒に泣いてくれる人がいる、そういう経験を積めば積むほどに、「人生はなんと素晴らしい」と思えるのだと思います。皆さん、寒い2月ですが、そんな寒さの中でも皆が一緒になって、心温められて、喜んだり、時には泣いたりしながら、でも、互いに愛し合って過ごして参りましょう。