聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2015年 3月

「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出
すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。」 
  (ヨハネによる福音書10章3〜4節)

 ある日、電車に乗ったら懐かしい香りがしてきた。その香は私が二十歳頃、大好きだった先輩の彼女から香っていたそれと同じ香水だとすぐ気付いた。あの頃、先輩の彼女の傍によると、いつもその香がして、彼女よりも香に惹かれ、時々ラッキーなことに電車で一緒になれたりしたものなら、いつもより饒舌になって夢中で話しかける自分がいたことを思い出す。その青春時代の香りを仄かに感じた時、何十年も経って、突然、どの女性からだったのかは良く分からないけれど、私の全身を青春時代に連れ戻し、甘い思い出が全身を包んだのだ。どの女性からなのか、わからなかったことはきっと幸いだっただろう。もしかしたら、思わず、何の香水をつけているのか、今の私ならずうずうしくも聞いていたかもしれない。今でもその香りの正体は何か分かってはいない。けれど、決して忘れることはない香。
 何十年も生きていると、時々、懐かしい人から電話がかかって来る。大抵の場合、「私…、誰だか分かる?」と言われる。ドキッとするが、慌てることはない、なぜなら、その声だけで誰であるのか、殆ど分かるからだ。何の用事か?はともかく、その声も私を何年も前の自分に引き戻す力を持っている。若かったあの頃の、少し苦い思い出に連れ戻す声を忘れることはない。たとえ、何十年経っても忘れることはない、犬が自分の飼い主の声や、匂いを何十年も忘れないというのは驚くべきことではない。人間でさえ滅多なことでは深い思い出がある人の声を忘れることは無い。
 そういうわけで、羊も同じように、自分の飼い主の声を忘れることは無いようである。イエス様の時代に、雨もあまり降らず、故に植物も多く育たない草原の中で、羊を飼いながら暮らしていた人々は、時間になると、皆、連れ添ってわずかな水源を求めて、それぞれの羊飼いが羊を連れて水場に集い、羊たちは水を飲み、羊飼いは暫くの間、おしゃべりをしながらくつろいでいる。水飲み場は大混乱である。どの羊も順番を守ることもなく、「自分達の群れから離れるな!」などと叫ぶ羊がいるわけでもなく、どの羊も水を求めて、溶け合うようにしながら水を求める。一体、どの羊がどの群れなのか、誰も分からなくなる。けれど羊飼い達は誰も心配はしない。なぜなら、彼らは知っている。自分が「行くよ!」と声をかけたら、自分の群れの羊たちは必ずその声を聞き分けて自分に従って来ることを。更に、羊飼いは自分の羊の一頭、一頭の顔も特徴も全て知っているので決して間違えることはないということも。
 私たちの羊飼いは、イエス・キリストという方です。この方に、私も従いながら人生を歩んで来ました。本当に良かったと思います。この方が私の人生を豊かにし、そしてあなたの人生にも深く関わって下さいます。しかも、私たちの生涯に亘って、決して忘れられない香りと声でもって、すなわち、「聖書の御言葉」でもって、私たちの人生の先頭を進んで下さるのです。皆さん、今年もありがとうございました。