菊池牧師による聖書の言葉

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2017年 3月

「主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。」
                (詩編27編1節)

 大塚平安教会は2月に「キリスト教の死生観」というタイトルで学習会を開催しました。人が生きるとはどういうことか?生きることの先にある死をどう受け止めるのか?色々な側面から学びました。ある方がこんなことを話されました。「死とは、恐ろしいというより、何か光に包まれていて、輝いていて、栄光の中に引き込まれて行くような感じがします。」わたしはこの言葉を聞きながら、素敵な感性を持っておられるなぁとすっかり感心していました。死とは光に包まれることだ。それは生きるも死ぬも、どちらにしても神様のお守りの中で起こるのだと言っておられたのだと思うのです。

 詩編の作者は「主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。」と告げています。主なる神様がいつも一緒にいて下さるので大丈夫、という安心感を受ける御言葉です。「『病は気から』の科学」(高田昭和著)という本を時々読むのですが、「安心感は寿命を伸ばす」というタイトルの箇所があります。現在の日本人の平均寿命は男女とも80歳を超えていますが、なぜ、こんなに寿命が延びたのか、一つは、生活環境の良さ、医学の進歩、栄養状態の改善などによるものでしょう。例えば抗生物質の発見などは、かなり決定的であったろうとも言われます。けれど、不思議なことに抗生物質が発見される100年も前から、つまりは19世紀初め頃から、寿命は伸びてきていたそうです。あるいはワクチンも発明される以前から、ワクチンが必要な病気の罹患率そのものが減ってきていたそうです。もっと言うと、早期発見、早期治療と言われるガンをはじめとする様々な病気も、確かに早期発見して、早期治療をするとその後も健康でいられるわけですが、でも、どんな治療にも言えるようですが、そのことによって人の寿命が伸びて来ているのかどうかはよく分からないのだそうです。

 では、なにによって寿命が伸びたのか?高田先生は「安心感」ではないのかと言っています。貧しい地域に高度医療体制が整った病院が出来たそうです。そのおかげで、地域の人たちは恩恵を受けるわけですが、更にそこから広い地域の町や村の人たちまでがかなり健康になったというのです。なぜか、もし何かあったらあの病院に行けばよいと思える「安心感」があるからです。この思いが人を健康にするのではないかと言うのです。

 ですから、逆の「不安」「ストレス」「恐れ」は寿命を縮めるのではないかとも記していますし、実証例も幾つか出されています。続けて「社会や家庭の絆が私達の健康、長寿に深くかかわっている」とも記します。更に、「愛がなければIQも上がらない」とさえ記します。成績の良い子に育てたいと願うのなら、夫婦が愛し合い信頼を寄せること。家族が深い愛情で繋がっていることが必要なようです。
テレビ、マスコミは、毎日のように不安をあおるような出来事を報道し続けます。富士山が爆発するとか、大地震が起こる確率とか、戦争への危機や、環境汚染の実態や、食べ物、飲み物のリスクなど、いかに大変か、毎日ショッキングとも思えるニュースを伝えます。勿論大切なことでしょう。そうならない事を必死に祈らなければなりません。けれど、そんな報道を聞きながら、私たちの心が、日々不安と恐ればかりにさらされているとしたら、やっぱり悲しいと思うのです。

 皆さん、だから、聖書の御言葉をこそ読みたいと思います。「主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。」どんな状況の中にあっても、主なる神様がともにいて下さることを思い、どんな時でも大丈夫。安心感をしっかり持って生きていきたいものです。