聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2017年 2月

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。」
          (コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章18節)

 昨年11月にオリエンタルラジオ中田敦彦さんが、「しくじり先生」と言う番組で「星の王子さま」の紹介をしたそうです。残念ながら見ていませんがとても素敵だったと評判のようです。番組を見られた方や本を読んだ方も多いかと思いますが、中田さんの解説によると、星の王子さまが旅をした六つの星の意味は、「人が人生で溺れがちなもののイメージ」だそうです。

 すなわち、「権力」、「人気」、「快楽」、「財力」、「労働」、「学問」です。よくわかります。それらのものが欲しくて、私たちはなんとかしようと頑張っているのではないでしょうか。けれど結局、それらのものが人を本当に幸せにするのか?という問いかけが「星の王子さま」の中に隠れているのだと思います。

 王子さまと友達になったキツネが話しかけました。「キツネが言った。『じゃあ秘密を教えるよ。とてもかんたんなことだ。ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない。』」印象的な言葉です。

 大切なことは目に見えない。何が大切なのか?年齢や状況によっても違うでしょう。受験生や学生にとっては偏差値や学力が大切で、会社員であれば会社のポジションが大切で、高収入も必要です。そんなことを考えると、私たちの周囲は数値とか点数、ノルマ、年収といった目に見える形で評価されていることに改めて気が付きます。そして、キツネが言ったように「いちばんたいせつなことは、目にみえない」という言葉にはピンとこないのです。高得点、高収入が幸せを保証しているかのようにも思えるからです。

 でも、本当にそうでしょうか。なぜ、目に見えないものが大切なのでしょうか。一体、目に見えないものとはなんでしょうか。

 上述した「人生で溺れがちな六つ」を合わせると恐らく「欲」という言葉になると思います。人は生きるためには「欲」が必要です。生きようとする「欲」が絶対に必要です。けれどその欲が、貪欲や情欲となり、さらに傲慢となり、悪意、無分別となっていくとき、際限なく人は「欲」に溺れ、自らを潰しかねないのだと思います。「際限ない」とは、「いつも十分ではない」、「このままでは満足ではない」という意味です。だから、幸せではないと思うのです。不満なのです。嫌なのです。

 「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。」という御言葉の前にこう記されています。「だから、私たちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』が衰えていくとしても、私たちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」外なる人とは、見えるものです。見えるものはいつかの時点で衰えていきます。自分の体も能力もいつかは衰えていくのです。けれど、内なる人は日々新たにされるとは、教会的に言えば、「信仰」と言えるでしょうし、「信仰」をあえて用いなければ「希望」や「愛」、そしてなによりも「幸せ」です。幸せを求め続けていく人生も良いでしょう。でも求め続けていく理由が「今は幸せではない」から、だとすれば、その人に幸せは永遠にやってきません。

 幸せに生きるためには、どのような状況にあっても尚「今も幸せ」であり、明日もその後もずっと「幸せである」と信じることです。そのように生きていくことです。

 目に見えないけれど大切な「幸せ」を、家族や妻、夫、こどもたちと分かち合うとき、どんなにか幸いを感じることでしょうか。皆で幸せに生きていきましょう。