聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2017年 1月

「ひかりの子として歩みなさい。」 (エフェソの信徒への手紙5章8節)                                       
              
 皆さん、新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

 来月早々、大塚平安教会では修養会という学びの時を持ちます。タイトルが「キリスト教の死生観」です。今、色々な資料を見たり、調べたりしていますが、ネットで「長生きする人の特徴」を調べてみました。凄く沢山出て来て面白いです。1、真面目な人 2、打ち解けやすい人、開放的な人、3、感情が安定している人 4、のんきな人 5、感情を上手に表現できる人 こんな方は長生きする傾向があるそうです。この逆は、1、長風呂の人 2、睡眠時間8時間以上の人 3、平熱が低い人 4、不倫している人 5、早朝から運動する人など・・・。一つ一つの解説は記しませんが、不倫などしていると、きっと神経が休まらないのでしょうか。(笑) 勿論、上記の文章は責任もって記しているわけではないと思いますし、誰にでもあてはまるわけでもありません。わたしは真面目に生きていますけれど、冷え性ですから体温が低いのです。

 でも、他にも色々と読みましたが、あまり気苦労せず、その時、その時を「幸せだ」と感じながら生きられるなら、長生きでも、たとえそうでなくとも充実した良い人生ではないでしょうか。

 「ひかりの子としてあゆみなさい」とは聖書の中でも最も知られている御言葉の一つです。私たちは神奈川県の県央と呼ばれる地域に住んでいます。この地域は都会か田舎かと言われたら、私はやっぱり都会だと思います。都会風に生きていると言っても良いでしょう。なぜ都会風かというと、例えば隣人が何をしているのか、どんな人や家庭なのかがわからないとか、野生の鳥、家畜、魚、カエル、トンボなどのいわゆるペットではない、動物や様々な生き物と触れ合う機会が少ない。つまり、生きていく為の人との関係性が薄く、また生きる命と触れあう機会が少ない状況に住んでいるのが私たち、と言えると思うのです。そんな生活で失われやすいのは「生きる力」です。人はなぜ生きるのか? 生きていかなければならないのか? なぜ命は大切なのか? なぜ命を粗末にしてはならないのか? なぜ人は一人ひとり違っているのか? 更には、なぜ違っていることが大切なのか? そんな大切なことが見事に隠されてしまっているのです。隠されていると人は「不安」になり、「不安定」になってしまいます。そんな不安感が引き金となり、引きこもりや不登校の子どもたちだけでなく、社会的に厳しい生活を強いられている大人もとても多いと思います。

 だから、私たちはどう生きていくのか? 聖書は「ひかりの子として歩みなさい」と教えました。曇りや雨の中で物事を考えると、良い方向へ気持ちが向きませんが、雨が上がり雲の隙間から太陽の光が差し込んでくる、その光を見るだけで自然と力が与えられたと感じるように、私たちを「ひかりの子」として下さる方を信頼して生きることです。子どもたちは無条件に「ひかりの子」です。子どもたちは親から、家族から、先生から、友達から、沢山愛されていることに少しも疑いを持ちません。ひかりの中をしっかりと生きています。そのひかりの中をいつまでも歩めるように、大人もまたしっかりと、「ひかり」の中を生きていきたいものだと思います。

 長生きする人、真面目な人とは、あえて危険と思われることをしない、危険な場所に行かないから、長生きすると説明がありました。その通りだと思いますけれど、私は、危険なことをする必要もないし、危険な場所にいく必要もない、リスクを冒して「愛」を求めたり、「命」を感じようとしたりしなくてもよい人なのだと思います。私たちもそんな必要はありません。わたしたちこそ神のひかりに包まれて生きているのですから。安心して今年も一緒に生きていきましょう。