菊池牧師による聖書の言葉

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2019年 5月

「天の下にあるすべてのものはわたしのものだ。」 

                 ヨブ書41章3節

 

 アメリカでのお話です。ある町のスラム街で育った双子がいました。スラム街ですから貧困の街であり、ろくな食事もなく、教育も受けられません。大きな原因は仕事が無く収入が無いことです。だから、皆が貧しく、皆が生きるのに困り、疲れ果てるのです。

 そんな地域で育った双子が成長して、何十年後かにどんな成長を遂げて、どんな生活をしているのか、二人の人生を調査したそうです。1人は、殆ど予想通り、様々な悪さをして、刑務所にいたそうです。インタビューの受け答えで、貧しく生まれ、ろくな教育も受けず、最悪の環境の中で育ち、仕事もなく、そんな条件の中で、彼は「自分がこうなる他の、どの道が私に与えられていただろうか」と答えました。こうなるのは必然だと言ったのです。

 さて、双子のもう一人は大学で教員をしていました。同じようにインタビューの受け答えで、貧しく生まれ、ろくな教育も受けず、最悪の環境の中で育ち、そんな状況の中で、彼は「自分がこうなる他の、どの道が私に与えられていただろうか」と全く同じ答えを告げました。もうこうなるのは必然なのだと言ったのです。

 双子、同じ生まれ、同じ教育、最悪の環境、皆同じです。では何が違ったのでしょうか。それは、「考え方」です。1人は、最悪の環境の中で育ち、何の社会的恩恵もなく、だから、自分は悪さするしか生きる道は無いと考えたのでしょう。もう一人は、最悪の環境、何の社会的恩恵もなく、だから、自分は人より勉強して、なんとか頑張って生きていくしか道はないと考えたのです。同じ条件でも「考え方」が違えば結果は違う、当然だと思われますか?

 神様は、私たちに命を与えて下さいました。私たちに同じ太陽でもって照らし、同じ雨を降らせてくださいます。全く同じ条件です。「天の下にあるすべてのものはわたしのものだ。」この御言葉は、旧約聖書ヨブ記という箇所の中で、神様ご自身が主人公のヨブに語り掛けている御言葉です。

 もともと、ヨブは裕福で財産も沢山あり、多くの娘、息子に恵まれて幸せに生きていました。神様に対しても非常に謙遜に、毎日、自らの、また家族の罪を悔い、祈りを献げていました。

 ところがある時、突然ヨブに不幸が訪れます。災害や盗賊によって、次々と家族を失い、財産を失い、自分も死ぬほどの病気となるのです。当初「私は裸で母の胎を出た。だから裸でかしこに帰ろう」と言って、神を呪う言葉を決して話しませんでした。けれど、状況がどんどん酷くなるにつれて、さすがのヨブも疲れ果て、「神様、もうこのまま死なせてください」と訴えるようになります。あるいは自分は悪くないと主張するようにもなります。でも、自分が悪くないのであれば、神が悪いとなるのです。

 その後、神はヨブのところに現れて、「天の下にあるすべてのものはわたしのものだ。」と告げられた時、ヨブは自分の過ちを知るのです。それは、与えられている条件によって人の生き方が決まるのではなく、与えられている条件をどう受け止め、考えるのかによって生き方が変わるということです。

 神様に与えられている家族、子供、環境は、実際のところ、それぞれに違います。けれど、その違いによって幸せだったり、不幸だったりするのではなく、あなたの「考え方」によって幸せ度が大きく違うのです。

 大切なのは、「幸せは自分持ち」ということです。皆で、神様に守られ幸せに過ごしていきましょう。