菊池牧師による聖書の言葉

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2019年 10月

「ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び」

                      マルコによる福音書4章8節

 イエス様は、人々に分かり易いようにと、色々な「たとえ話」を用いて話をして下さいましたが、その中でも、特に多くの人々から親しまれているたとえ話が「種を蒔く人の」たとえです。

 「種を蒔く人が、種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽をだした。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは30倍、あるものは60倍、あるものは100倍にもなった。」そして。「聞く耳のある者は聞きなさい。」と言われた。聞く耳のある人とは、このたとえ話を聞いて、30倍、60倍、100倍の豊かな人生を送るようにと理解した人々なのでしょう。

 当時の農業は、とてもシンプルで単純なものでした。フランスの画家でミレーと言う人が「種を蒔く人」という絵を描きました。皆さんもご存知だと思います。ミレーは、自分が幼かった頃に、畑で働いていた父親の姿を思い浮かべて描いた、とも言われていますが、今月の、このたとえ話が頭の中にあっただろうとも言われています。その絵は、一人の人がただ種を蒔いているだけです。畑を耕して畝を作り、そこに少しずつ蒔いていくようなことはしません。手に握った種をただ畑の中に蒔きちらしているようなものです。ですから種は色々なところに落ちました。ある種は道端に、違う種は石だらけの所に、別の種は茨に落ちました。それらの種は鳥が来て食べたり、ちょっとだけ芽がでても根が成長しなかったり、結局は上手く育たなかったというのです。でも良い土地に落ちた種は、芽生え、成長して実を結び、30倍、60倍、100倍の収穫があった。イエス様はこのたとえをご自身で説明しておられます。それによると種を蒔くとは、神の御言葉を蒔いているのであり、種は私達です。神の御言葉を聞かず、実りをもたらさないか、神の御言葉を聞いて、豊かな実りを実らせるのかのどちからだということでしょう。

 私達には夢も希望もあります。種とは夢と希望のシンボルです。リンゴ一個の中に種がいくら入っているのかを数えようとしたら出来るでしょう。でも、その一粒の種が成長し、豊かなリンゴを幾つも実らせた時、もうその時にはとても種が幾つあるのか数えることは出来ないでしょう。そのように、あなたも神様の御言葉をしっかりと聞いて、沢山の実りがあるように生きなさいと教えておられるとも言えます。

 最近、息子から影響を受けて「back number」というバンドの歌を聞いたりするのですが、その作品の中に「僕が今できることを」という歌があります。歌詞の中に「僕らは 優しい人に支えられて いつの間にやら誰かの分まで 生きなきゃいけない気がするけど 涙も汗も一人分しか流せない だから自分の思うように 僕が今できることを」という箇所が大好きです。 

 イエス様が話される30倍、60倍、100倍という言葉は、きっと誰かとの比較ではありません。誰かの分まで生きなさい、という意味でもないように思います。むしろ、自分一人がその日、その時を精一杯、一人分生きることが大切で、それが積み重なって、いつの間にか、自分の思っていた何倍もの幸いを生きている。そんな人生が求められているのではないかとも思うのです。まずは、自分が光り輝き、豊かになるために、神様から与えられた一人分の人生を精一杯生きて参りましょう。そこからあなたの、新しい幸いが、また動き始めるはずだと私は思います。