聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2016年 12月

「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。                              
               (ルカによる福音書1章28節)

 我が家に中学2年生の娘がいます。この間、「お父さん、どっちが小顔になるか競争しよう。」と言われました。娘はどうも自分の顔が小顔ではないことに気が付いてきたようです。定規で計ったらおまけして19.5センチありました。因みに私の顔は22.5センチです。更に因みに広瀬すずは17.5センチだそうです。どうでも良いような話ですが、自分のことが気になる年頃なのかもしれません。でも、気になるとは、イコール気に入らないということです。娘は兄に「お前の鼻はニンニクみたいだ」と言われて大いに傷ついていました。きっと鼻も気に入らないはずで「なんでお父さんに似たかな」とつぶやいていました。

 マリアも丁度、こんな年頃であったと思います。恐らく13歳とか、14歳とか…。けれど、当時としては結婚する年頃でもありました。既にヨセフという婚約者がいました。ささやかだけど、幸せだと思っていたかもしれません。そんな、どこにでもいるような娘であったマリアのところに、天の使いのガブリエルが現れて語りかけました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアは驚き、この言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込みました。更に天使は続けます。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」と言うのです。マリアは更に驚いて「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」と応えます。けれど、更に天使は「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。神にできないことは何一つない」と語りかけました。

 マリアが世界中の人々から愛されている理由は次の応答の言葉にあると私は思います。「わたしは、主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」私には考えられないけれど、すべてのことを受け止めて、私は幼子の母となりますと言ったのです。どうして、マリアはそう言えたのかなと考えてしまいます。そして、考える中にマリアは自分で自分のことをしっかりと受け止めていたのだろうと思うのです。自分で自分の存在を喜んでいたと思うのです。自分で、自分の存在を喜ぶことはなかなか大変です。顔の大きさや、鼻の形だけでもなく、足の長さも、爪の形さえも気にいらないと思う私たちがいます。まして、自分の性格などは本当に気に入らないのです。

 先日もあるご婦人から相談を受けました。「先生、私は人と話すときに、沢山話すと、後で話しすぎたと後悔して、だから話さないと、後で話さなかったと後悔するのですが、どうすれば良いのでしょうか。」あ〜、その気持ち良くわかると思わないでしょうか。けれど、そんな自分を自分でも嫌いと思ってしまう私たちの全てを包み込み、全てを赦し、「そのままのあなたがどんなに素晴らしいか」を知らせるために、神は御子イエスをこの世に誕生させて下さいました。その母としてのマリア。マリアの素晴らしさは、この事を通しても、神様は私を愛して下さり、私の存在を慈しんでくださっていると信じることが出来る「心」を持っていたところです。

 私たちも、私たちの全存在を主なる神様が慈しんでおられることを忘れないようにしたいものです。神の愛が私に、それ故に夫に、妻に、子どもに、家族に、友達に、与えられている喜びを、このクリスマスに改めて感じながら、過ごしていきたいものだと思うのです。