菊池牧師による聖書の言葉

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2020年 3がつ

わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。」

               エフェソの信徒への手紙5章20節

 シェイクスピアの翻訳家として知られる小田島雄志という方がいます。この方が日本経済新聞の「私の履歴書」という欄にこんな言葉を記したそうです。「人生の楽しみは、喜怒哀楽の総量である」。なんだか素敵な言葉だと思います。小田島さんが記した意味は、人生は楽しい方が良いに決まっているけれど、楽しいことばかりではなく、怒りもあり、悲しみもあり、喜びもあり、色々あって、それらの物を皆集めて人の人生であって、喜びや楽しみはプラスで、怒りや悲しみはマイナスという訳でもなく、全てのものを足し算して、その総量でもって「人生の楽しみ」という、そんな意味だと思います。

 

 私たちは楽しいこと、嬉しいことはプラス、悲しみ、怒りはマイナスと考えてしまいますが、どうも、それは違うようです。全部を足し算した総量が「人生の楽しみ」だというのです。

 

 今月の御言葉を記したパウロという人は、この文章を記した時、諸説ありますが、ローマの牢獄に入れられていたと考えられています。パウロは主イエス・キリストの福音を、人生をかけて宣べ伝え、特にユダヤ人以外の異邦人に熱心に宣べ伝えました。けれど、宣教活動によって自分の身に迫害や、困難が起こることも良く知っていたと思います。実際に、パウロはこの手紙を記した数年後に、暴君ネロの手によって処刑されたと言われます。自分が置かれている状況は最悪の状況だったと言えるでしょう。

 

 けれど、パウロは獄の中で、命が失われるリスクを日々感じつつも、エフェソの教会に宛てて手紙として文章を残し、迫害の中にあっても共同体として一つになり、感謝して与えられている命を生きるようにと一生懸命に記しました。

 「神に感謝しなさい」とは、何でもありがたがって生きなさいという意味とは違います。小田島雄二さんが記したように、喜怒哀楽のある人生、喜びのみならず、悲しみや怒りをも全てを含めて神様の御計画があると信じて受け止め、その先のまだ見えない将来に夢を託し、いつの日か、全てが自分の宝物となる時が与えられると希望を持って生きることなのだと思います。パウロ自身最後までそのような希望に生きた人であったと思います。

 

 今、私たちの国は新型コロナ・ウィルスの拡大に歯止めをかけるために必死になっています。大塚平安教会は、凡そ2週間の行事を中止としました。私が通っているスポーツジムも3日より2週間ほどお休みとなりました。高校生の娘の学校もいきなり休校となりました。けれど不思議なことに、保育園は休園にならず、学童保育には更に子ども達が増えているチグハグな状況が生まれています。多くの会社員は、以前と変わらず満員電車で通勤しています。

 

 このようなことが何を生み出すかというと、人は自分が置かれている状況から物事を見ますから、そこから物事を判断し、不安になったり、不満を募らせたり、怒ったりという現象が、あらゆる地域で生まれているのではないでしょうか。ウィルスの拡大を更に上回るスピードで、人の心の中に不安が増加し、渦巻いているとも言えるでしょう。不安は増幅し、デマかもしれないと思いつつもトイレットペーパーとかティッシュを買いに行ってしまうのです。でもこんな時こそ、全ての事柄のその先に確かな神の御計画があり、今の出来事さえも将来の宝物となる日が来ると信じて、全てを足し算していきながら、不安ではなく希望を持って生きていきたいものです。