菊池牧師による聖書の言葉

文章はドレーパー記念幼稚園で発行する園だよりからの転載

2020年 10月

「いかに楽しいことでしょう 主に感謝をささげることは」 (詩編92編2)

 猛暑が続く8月の末に体調を崩しました。水曜日に風邪をひいた感覚があり、喉が痛く、熱もある感じがしました。測ってみたら平熱なので様子を見て過ごしました。けれど翌日の木曜日も金曜日も回復せず、決心して医者に相談してPCR検査を受けました。結果は陰性で、一週間後には回復して元気になりましたけれど、この時期、ささいな風邪の症状でも不安は頂点までいくなぁ、と改めて思った次第でした。月末は園だよりの原稿を上げる時ですが、ついに9月の園だよりは書けず、落としてしまったのが悔やまれます。

 新型コロナウィルス感染予防の為「ソーシャル・ディスタンス」と言われて既に半年が過ぎます。新しい生活様式とも言われますが、この生活様式は感染予防の為の配慮です。けれど、その影響により、テレワークが普及し、出勤せず家で仕事や、テレビ会議、オンラインでの生活が多方面に、しかも急速に広がっています。感染が終息して元に戻ったとしても、この生活様式は元に戻ることはないと思います。私たちの生活は確実にIT化が進んでいます。先日、家族で回転寿司に行きましたが、ペッパー君が出迎え、表示されたテーブルに座った後はボタンで注文すると、回転しないベルト上に、あっという間に注文の品が届きました。店員の誰とも会話することなく美味しく頂くことが出来ました。店員と話したのは会計の時だけだったと思います。近い将来、回転寿司に限らず、コンビニ、スーパーで店員はいなくなるでしょう。便利な世の中になってきたとも言えるでしょう。

 けれど、そのような社会の中で失われていくものもあります。

一つは、人と人の関わりです。人は一人では生きていけません。人は人との出会いを求め、自分の伴侶を探す時期が与えられ、結婚し、家庭、家族、社会が形成されていきます。良い社会とは、政治や経済、物量で決まるものではなく、人と人とが互いに信頼しあえる社会だと私は思います。過度なIT化は人と人との関わりが希薄となり、他人との関係性、信頼性、共存性、そういった関わりや交わりを通して会得する社会性が成長しにくくなります。社会性の喪失は出会いの喪失を意味します。

その為、失われて行く二つ目は、心の栄養です。人の心には愛情や信頼、励ましや慈しみ、といった人と人とが相互に与えあう感情によって栄養が補給されていくものです。それらの感情はペットやロボットによって多少は補給されるとしても、偏りがあるか、一方的なものとなるのではないでしょうか。

 失われて行く三つめは、人は生きているのではなく、「生かされている」という命の大切さです。人と人との関わりは、命の関わりです。その関わりの中で、命の誕生、成長、更には命の喪失といった喜びや悲しみを人は体験します。そのような体験を繰り返しながら、命の大切さ、命の有限さを感じ取るものだと思います。人は互いに生かされて生きているという感情は、人間社会を憎しみや、争い、戦争といった悲劇を起こさない、繰り返さないためにも必要不可欠な感情だと私は思います。

 聖書は、私たちに命を与え、命を生かし、どんな時も、誰よりも励まし続けて下さる方がおられることが記されています。この方が私たちの人生に強く関わりを持ってくださろうとした思いが記されています。この命の造り主を知る時、私たちは心の渇望から救われて、潤いのある命を取り戻すことが出来るのです。この方を知ると、希望と喜びが与えられます。そのような体験をした者が、喜びの中で、主に感謝を献げることがどれほど楽しいかを記しているのが今月の御言葉です。