菊池牧師による聖書の言葉

菊池牧師のテレフォンメッセージもどうぞ・・0467-78-0374

2017年 11月

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる。」

               マタイによる福音書18章20節                        
 バーバラ・テイラーというアメリカの牧師は「健全な家族とは、瓶の中を転がる小石のように、互いにこすりあいながら尖った角を丸くしていく場所になります。」と教えています。「瓶の中」という表現は少し難しいですが、例えば川の上流の石は角ばっているものですが、下流に流されていくにしたがって、どんどん丸くなっていることはどなたでも分かることです。つまり、丸くなるためにも、「健全な家族の健全な争い」が必要なのかもしれません。

 でも、「健全な争い」とはどんな争いなのでしょうか?以前、礼拝の説教でも、教会の集会でも話題にだしましたがC・Sルイスという先生が記した「天国と地獄の離婚」という話をしました。気が付くと男の人が寂しい町を歩いていて、なんだか薄ぼんやりした町だなぁと思いながら進んでいくと、人影もまばらで、駅にいっても殆ど人がいなく、町にも小さなタバコ屋や、古本屋があって、古本は埃をかぶった「アリストテレス全集」が並んでいたりするのです。でも、バス停があって、そこには人が沢山並んでいて、自分も並んでバスを待ち、バスに乗って、隣の人と話をするのです。「不思議な町ですね」、「あ〜ハイ、この町の人は、隣同士で住むとすぐに喧嘩が始まって、怒ってこんな隣に住んでいられるか!と怒って、両方とも引越しちゃうんですよ。でもその引越し先にも、隣の人がいて、すぐ喧嘩をして、こんな隣に住んでいられるか!と怒って、また、相互に引越しちゃうんですよ。そして、その先でも同じことが起こるのでいつの間にか、町の中心には誰も住まなくなって、町のはじ、町のはじに住むのです。」と話してくれました。「そうですか、ところでこの町の名前はなんというのですか?」と聞いたら、「地獄」といいます。と答えたというのです。とても印象深いシーンでした。

 さて、皆さん、「健全な争い」の逆の「健全でない争い」は良く分かると思います。口を利かない、ということです。腹を立てて、「夫と一週間も口を利いていません」と言われた方が、前にいた教会幼稚園のお母さんにはおられました。ドレーパー記念幼稚園では聞いたことがありません(笑)。口を利かないとは、互いをいない者、いない人として振る舞うということでしょう。とても寂しいし、とても傷つきます。学校や社会では「いじめ」と言います。では、逆に口を利いても、その口から出て来る言葉が、その人を傷つけ、悲しませ、力を奪うとするなら、それも「健全でない争い」であり、それも学校や社会では「いじめ」と呼ぶのではないでしょうか。

 それなら「健全な争い」とはどんな争いなのでしょう?私が講演する時の定番の話ですが、石油スト―ブの石油が無くなりました。新婚家庭なら、「私が入れて来ますからあなた待っていて」と妻が言うと、「なにを言っているか、お前こそ忙しいから、俺が入れて来る」と夫が言うのです。「イエ、私が」、「イヤ。俺が」と争っている姿は、石油が無くともそのうち暖かくなるのではないですか。ところが、結婚5年、10年となると、「あんた、ストーブの石油入れて来て」「じょうだんじゃない、お前こそ行ってこい」と争っているうちに、互いに風邪をひいてしまうというのは、前の幼稚園の夫婦には数組いたかもしれません。皆さん、ドレーパー記念幼稚園で本当に良かったですね。

 というわけで「健全な争い」を続ける家庭では、子どもたちも、どう生きるとイキイキするのか自然に了解して笑顔で元気になるのです。そんなあなた方のご家庭にこそ主イエスが一緒にいて下さるのです。