菊池牧師による聖書の言葉

文章はドレーパー記念幼稚園で発行する園だよりからの転載

2021年 3月

「わたしは必ずあなたと共にいる。」   (出エジプト記3章12節)

 

 聖書の最初は「創世記」が記されています。二番目が「出エジプト記」です。そこに登場するのがモーセという人です。モーセは何者かというと、神様に見出されて、エジプトで奴隷とされて苦しんでいたイスラエルの凡そ60万人の民を救い出し、元々、自分達の土地であった場所を目指して40年間荒野を進んだ指導者として生きた人です。イスラエルの英雄の一人です。

 けれど、モーセは当初、その働きを嫌がりました。ミディアンという田舎の地方に住み、家族と共に小さな幸いを過ごしていたモーセでしたが、主なる神様がモーセに声をかけます。「モーセよ、わたしは、エジプトで苦しむイスラエルの人々の叫びを聞いた。あなたはエジプトにいるイスラエルの同胞である仲間を助け出しなさい」でも、モーセは驚き、怯んで、「どうして、わたしが」と神様の御言葉を拒み続けます。何度も拒むのですが、その度に、神様はモーセを励まし、「わたしは必ずあなたと共にいる」と力付けるのです。結局、熱意に負けるようにしてモーセは決心し、イスラエルの民を救い出すことになります。迫力のある箇所ですから、時間のある方も、無い方も是非読んでいただければと願います。

 

 さて、私たちの人生にも、モーセと共におられた神様が必ず一緒におられます。私たちが生まれた時、必ずいるのはお母さん、お父さん、家族です。家族の愛情に包まれて、私たちは確かな成長を遂げて来ました。けれど、ある時期に、私たちは親から離れ自分のパートナーを求めて社会に出ます。社会に出るのは自活、自立の為でもありますが、それ以上に、自分の人生を共に歩んでくれるパートナーを求めて社会に出る、と言っても過言ではないでしょう。

 幸いにもパートナーと巡り合い、めでたく結婚、更に幸いなことに、子どもを授かり、家族が増えて、時にはパートナー以上に子どもに夢中になったりしながら、確かな家庭を築こうとします。

 けれど、気が付くと、子どもは成長し家から出ていこうとするし、元気だったはずの両親は年老いて、自分達が世話する番になるのです。更に、孫と楽しく過ごしているうちに、あっちこっち体にほころびが出て来て、ついには子どもや孫の世話になりながら、あっという間に神様のもとへと旅立つ準備となります。

 

 私たちの人生で確かなものは何でしょうか。幼い時は、父、母はいつも、どんな時も一緒にいてくれる人でした。幼子からすれば世界一の父、母です。ところが、成長すると、選んだパートナーこそ自分と一緒に歩む相手であると決意して結婚し、家庭を築く。その家庭こそ、生涯続くものと思いながら生きるのです。けれど、ある時に気が付くのです。父も、母も、パートナーも、子どもも、自分の人生といつもずっと一緒にいるわけではないということに。

 

 今、認知症の母を抱え、子ども達が巣だって行こうとする姿を見ながら、私は改めてそのことを思います。

そして、自分の生涯を共に歩んで下さるのは、モーセと共にいて下さった神であり、主イエス・キリストを通して示された神様、この方だけが、「わたしはあなたと共にいる」と告げて下さり、どんな時も一緒にいて下さる方であることをつくづく思います。この方の支えがあってこそ、親にも、パートナーにも、子どもにも、どんな時にも、どんな状況でも、確かな愛を与え続けられるのだと私は思っています。