聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2016年 10月

「あなたがたは地の塩である」  (マタイによる福音書5章13節)

                        
 昔の偉い哲学者にプラトンという人がいました。プラトンは「イデア論」と言われる考えを世に示しました。どんな考え方かというと、たとえば世の中に馬がいたとする。様々な馬がいます。大きな馬、小さな馬、白い馬、黒い馬、ずんぐりした馬、すらりとした馬、けれど、どの馬を見ても私たちは「馬」であると理解します。なぜ「馬」だと理解できるのか?天にはこれこそ「馬」という理想的な馬の姿があり、その馬を人は天上にいた時に魂で感じていている。その後、地上に降りて肉体を取った時、すなわち生まれてから、人の魂は理想の馬の姿を思い起こすことが出来、その理想の幾らかでも宿している馬を見れば、それがどんなに異なっていても馬だと理解出来る、と説明しました。例えば、どのリンゴを見ても、私たちはリンゴだと判断できるのは、既に心の中に理想的なリンゴの姿を知っているから、それにあてはめてリンゴと判断できるのだというのです。

 そのようにして、馬やリンゴに限らず、美しいものを見て、美しいと感じる心は、天にある理想的な美しいものを知っているからであり、何をもって善であるかを知るのは、天にある理想的な善を知っているからであると説明しました。後の世代には多くの批判や、矛盾点を受けた考え方ですが、イデア論は歴史の中で、かなり長い間、人の思想にも影響を与え続けました。キリスト教も強く影響を受けました。天には理想的なクリスチャンの生き方があって、地上の信仰者はそのことを知っているので理想を目指して生きるのだ、などと説明されたりしたようです。

 このイデア論、私は現代でも影響しているのではないかとさえ思います。私自身、いつも何か理想的な牧師像があるような気がしてなりません。何かわけのわからない、心の中にある理想的な牧師像に近づきたいと願っていたりします。そのようにして皆さんも、もしかしたらイデア論にやられてしまっている方がいるかもしれません。例えば、理想的な夫婦像を模索しているのではありませんか?理想的な親子関係を求めてはいませんか?理想的な家族のあり方を探してはいませんか?それらの理想は、本当はかなり漠然としたものであって、具体性が無いのではありませんか?「理想的な生活」という言葉がありますが、この言葉には罠が張られています。どんな罠だと思いますか?理想的な生活を思う時に、少なくとも今の生活は違うと思わされる罠です。今の生活は理想的な生活ではないと思うので、不満も出るし、腹も立つし、理想に近づけるためにとお金も出ていくというカラクリです。

 さて、今月の聖書の御言葉は「あなたがたは地の塩である」とあります。この御言葉は有名な御言葉ですからご存知の方も多いでしょう。そして、この御言葉を読むと、自分は地の塩なんかじゃない、とてもそんな役割は果たしていないと思う方が多いのです。けれど、イエス様は、あなたも頑張って地の塩のように役に立つ人になりなさいと言っているのではありません。
「地の塩、で・あ・る。」と言っているのです。あなたは既に「この世の地の塩」として生まれて、育ち、家庭を築いている。それがどんなに素晴らしいかを知りなさいと教えているのだと思います。あなたは既に地の塩です。あなたの笑顔とあなたが話す言葉は、既に地の塩なのです。だから、私たちは漠然とした捉えどころのない理想を求めるよりは、地の塩として下さった神に感謝して、喜びを持って生きていくことが出来るのです。