菊池牧師による聖書の言葉

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2020年 2月

「このように主によってしっかりと立ちなさい。」 

フィリピの信徒への手紙4章1節

 

 先月59歳になりました。もうすぐ60歳か、と色々と思います。岩手県の故郷から小学校の同窓会のお知らせがあり、「還暦だから会おう」ということで盛り上がっていたようです。幼い頃からの親友に電話して今年は出られそうにないと告げたところ、同級生の皆は定年後の仕事や、孫の話しも多いようでした。いつの間にか、「孫!」と驚きましたが、きっとそんな年齢なのだと思います。私の母は、46歳で孫がいて、今は曾孫が中学生です。

 ということで、私も楽しい60代を生きるためにどうしようか、と考えて60代は何よりも体力と健康ではないかと思い、スポーツジムに通うようにしました。ジムに通ってギコギコと鳴る体を動かしていたら、知っている方がいて「先生~、細~」、「先生~、白~」と声をかけて下さいました。苦笑いです。

 ところで「主によってしっかりと立ちなさい」とあります。しっかりと立つためには足腰を鍛える必要があります。体の筋肉は下半身が凡そ7割だと言われます。下半身を鍛えるとかなりしっかりとなってくるでしょう。けれど、もちろん聖書の御言葉ですから、体を鍛えなさいと言っているわけではありません。むしろ、「しっかりと立つ」ための心構えについて告げているわけです。

 心構えとして必要なのは「主によって」という言葉です。主とはイエス・キリストです。この方は、神の子でありながら神様のままでいることを「良し」とされずに、人の姿をとって私たちの世界に誕生されました。それがクリスマスの出来事です。人の姿となられた意味は、人の苦労や辛さも全てその身に引き受けられたということです。一人ひとりの思いをしっかりと共感して下さったということです。

今月の御言葉は、全体としては「神が人となられ、人と共に歩まれたように、あなたも主によってしっかりと立ちなさい。」という意味でしょう。

 ある昔の偉い牧師が説教でこう言ったそうです。「世の中でもっとも扱いにくいのは、「弱さ」でないかと思う。弱い人とは、大事にしすぎるとつけあがるし、厳しすぎるとひねくれるし、甘やかすとまとわりついてくるというように、手に負えない。」と言ったそうです。大分上から目線ではないかと思いますが、偉い先生ならではのお言葉だと思います。

 けれど子育てをしている年代として考えると、うちの子もそうだな~と思われるかもしれません。それは当然です。子どもというのは、まだしっかりと立てないから親が必要であり、しっかりと独り立ちするまでの時間を子育てと呼ぶのでしょう。その間、つけあがったり、ひねくれたり、まとわりついたり、つまり人に依存しながら、何度も何度もそういう弱さ、不完全さを繰り返しながら、トレーニングによって少しずつ体の筋肉が鍛えられていくように、心の筋肉が鍛えられて、次第にしっかりと立ち上がっていくのだと思います。独り立ちの時期はそれぞれ違います。法律上では20歳が子どもと大人の境界線ですが、人によってもっと前の人も、もっと後の人もいるでしょう。ですからそこで求められるのは親もまた「しっかりと立ち続ける」必要があるということです。

 何も子育てに限る訳でもなく、人として、自分の人生をより豊かに生きるためにも誰かに依存するようにして生きるのではなく、逆に人を愛して生きていきたいものです。依存するなら「主なる神」にのみ、だから他の全てのものからは解放されて、自分ならではの確かな人生を歩んでいきたいものです。体の健康も、心の健康もどちらも大切にしながら、寒い冬の時期を乗り越えて過ごして参りましょう。