菊池牧師による聖書の言葉

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2019年 11月

「同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして」

              フィリピの信徒への手紙2章2節

 毎月一度「聖書に親しむ会」が行われていますが、10月に行われた会では、ルカによる福音書10章に記されている「マルタとマリア」というタイトルが付けられている箇所を読みました。内容はそれほど難しくはありません。イエス様と弟子たちが旅をする中である村に入りました。そこにはマルタとマリアという姉妹の家があってその家に立ち寄りました。主は以前からこの姉妹とは親交があり、マルタもマリアも主イエスをとても慕っていたと思われます。姉妹は主イエスの一行を喜んで迎え入れ、姉のマルタはもてなしの為に色々とせわしく立ち働きましたが、妹のマリアは主の足元に座って、主の話に聞き入っていました。そのうち、マルタは自分だけが忙しくしているのに気がつき、妹は何もしないのに苛立ちはじめて、思わず主イエスにこう言ってしまいます。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」マルタは、主イエスの口からお姉さんを手伝うようにとマリアに伝えて欲しかったのでしょう。けれど主は答えてこう話しました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

 イエス様は、マリアに手伝うようにと言わないばかりか、マルタに対して「必要なことはただ一つである。」と話されたわけです。この必要なただ一つのことは一体何か?という話しを聖書の会で話してみたわけです。皆さんは、「ただ一つの必要な事」は一体何だと思われますか?

 先に答えを記してしまいますが、それもそんなに難しくありません。「同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、喜ぶ」ことです。一緒に「喜ぶ」ことです。マルタは、主イエスの一行を迎え入れて、一人で台所に立って、食事等を作っていたのでしょう。きっと当初は喜びに満たされていたと思います。けれど、いつの間にか手が回らなくなり、忙しさから不満が出て来て、手伝わないマリアに対して怒りまで感じ、ついに主にキレてしまったのでしょう。喜びをもって行っていても、いつの間にか不満が出て来る。不満どころか、怒りが出てきてしまう。そんな経験のある方、多いのではないでしょうか。

 私が結婚式の司式をするときは、新郎、新婦にこう尋ねます。「今から後、幸いな時も、災いに会う時も、豊かな時も貧しい時も、健やかな時も病む時も、たがいに愛し、敬い、仕えて、共に生涯を送ることを約束しますか。」幸いなことに、これまで約束しませんと言った方は一人もいません。(#^^#) ですから、私が司式したカップルはどのお二人も幸せに過ごしている「はず」です。でも、現実にはどうでしょうか。ある有名な先生は、「結婚後は、三日目、三週間後、三か月後、三年後が危機である。その後は、毎日が危機である。」と教えてくださいました。この文書を読んでおられる方の中には、そんな方はいらっしゃらないと思いますが、もしいるとしたら、大切な一つのこと、それは「喜んでいる」こと。この言葉をしっかりと胸に納めて欲しいと願います。どんな状態であっても喜ぶことです。喜んでいる人のところに、幸いは「こんにちは」とやって来ます。怒っている人のところでは、幸いは「さようなら」と言うかもしれません。喜んでいるお母さんの笑顔は、子どもにとってみれば、さながら「天使の笑顔」です。 私たちはそのようにして、「同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして」11月も過ごして参りましょう。