聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2015年 7月

「主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民 主に養われる羊の群れ。」   (詩編100編3節)
 「製品」と「商品」と「作品」、どれも同じような感じがしますが、それぞれに違いがあるようです。製品とは「工場などで生産されたもの」と定義付けられます。例えば、テレビならテレビ、パソコンならパソコン、冷蔵庫なら冷蔵庫が工場等で生産されていくわけですが、その特徴は、製品の品質にばらつきがなく、どれも全く同じものであるということでしょう。もし、これが一つ一つに特徴があって、それぞれが違うとなったら製品として価値が無くなります。
商品とは、作り出された製品が店頭に並んだ時、商品となるわけです。商品の価値は、他社製品との違いによって、差別化されていくということではないでしょうか。同じ品質、機能を持っているとしたら、少々無名でも、価格が安い商品を選んだり、その逆にブランド名にこだわったりしながら私たちは購入したりするわけです。
作品とは、これ一つしかないというものです。新会堂の入り口壁面に、12枚のタイル画が貼られました。それぞれ聖書の一場面から連想して画にしたものをタイルに致しました。作者は私の義弟です。ちょっと不思議な画だなと思いますが、それぞれインパクトもあるかなと思います。この画は製品とは言いません。商品とも言いません。やっぱり作品でしょう。
作品とは他の誰とも、他の何とも代えがたいのです。聖書は「主はわたしたちを造られた」とあります。
私たちは製品として造られたのでしょうか。違います。商品として造られたのでしょうか。違います。神の作品として造られているのです。「主はわたしたちを造られた」とは、あなたは心を込めて造られた神の作品ですというメッセージです。私たちは、他の誰とも違う、自分であり、ユニークな存在として命を与えられているということです。造って下さったのは主なる神。だから「わたしたちは主のもの」であって、自分のものではありません。「自分のものではない」とは、自分達は誰一人として、自分の意志で生まれて来たわけでもなく、自分の意志でこの家庭にとか、神奈川県にとか、日本にとか、男性にとか、女性にとか、自分で決めて生まれてきたわけではないということです。私たちは、私たちが普段思っている以上に、様々な、そして、殆ど代え難い程、多くの制約を受けながらこの世に誕生してくるのです。
しかし、その責任を負って下さるのは「主なる神」です。どのような責任の負い方をして下さったのか、イエス・キリストという方をこの世に生まれ出でさせ、イエス様は私たちを私たちの造り主である方と結び付けて下さいました。イエス様は「わたしは良き羊飼いである」と言われました。良き羊飼いは「羊の為に命を捨てる」と言われました。良き羊飼いの特徴は、羊の群れに危機が襲って来た時に、命を捨ててまでも羊を守ろうとするということです。そのようにしてイエス様は私たちの人生に関わりを持って下さり、神の作品としての私たち一人ひとりを大切にしておられるのです。
私たちは神の愛が込められた、大切な神の作品です。だから、誰とも比べる必要もありませんし、人と違って当たり前ですし、そのことを神様が喜んで下さっていることを私たち自身が喜び合いましょう。自分自身を神にあって喜ぶとき、そこから大いに元気と力が溢れて来るのです。その溢れた力で、素敵な家庭、素敵な子育てが出来るのだと思います。なぜなら、あなたの家族も、また神の大切な作品ですから。