聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2018年 10月

「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」
                   コリントの信徒への手紙一 3章6節
「わたしは植え」と告げている人は、主イエスの福音を宣べ伝えたパウロという人です。
パウロに与えられた使命は、異邦人伝道でした。当時、ユダヤ教ユダヤ教徒以外の人々を異邦人と呼び、彼らは神様からの祝福を受けられず、自分達は祝福を受けられる民族であると考えていました。現代でも自分達こそ特別な民族と考えている人たちは、私たちの国を含めて、案外大勢います。それが良いプライドや誇りとなり、互いに尊重しあえると、とても良いと思いますが、プライドが高すぎると差別するようにもなります。主イエスは、ユダヤ教の中にあった差別的な考え方を否定し、ユダヤ人でも、異邦人でも、女性でも男性でも、子どもでも、あるいは病気とか、怪我によって動けない人でも、どんな人も「神様の子ども」と教えられましたが、パウロもそのようなイエス様の教えを受け継ぎました。

パウロは、ユダヤ人もギリシャ人も、民族の差別なく、主イエスの喜びの御言葉を、世界中に宣べ伝えなければならないと感じ、生涯の中で三度の福音伝道旅行を行い、世界各地に出向き、世界共通語であったギリシャ語を駆使し、大活躍して、しかし命がけで、イエス様の福音を宣べ伝えました。この働きがないとしたら、今のキリスト教はなかったかもしれないと言われるほどの実行力でした。最後はローマで、恐らく皇帝ネロの時代に殉教するまで、主イエスを宣べ伝えて生きた人でした。

一方アポロも、主イエスの福音を宣べ伝える働きを熱心に行っていました。特にアポロは話が上手で、人々に感動を与え、多く人々がアポロによってクリスチャンになったと思われます。

ギリシャのコリントという町で、パウロが三年間苦労して伝道活動を行い、やっとの思いで教会を立ち上げ、最初の牧師となりますが、二代目の牧師としてアポロがやって来ました。アポロは話が上手でしたからコリントの人々は喜びました。けれど同時に教会内で、パウロ派と、アポロ派のような派閥争いが起こってしまったようです。その様子を聞いたパウロは、コリントの教会に手紙を書いて「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」と記しました。大切なのはパウロでもなく、アポロでもなく、神様を信じること、それが大切だと告げたわけです。

「私は植え」とか「水を注ぐ」ということは、いわば外的な要因です。パウロは、話は上手ではなかったと言われますが、知識もあり文章も上手でした。ですから聖書に沢山パウロの手紙が残されることになりました。アポロは話が上手で人を引き付ける能力があったと思いますが、それによって教会の人々を一つにするのではなく、逆に派閥争いのようになったのは、「自分が、自分が」という思いが強く、例えるなら神様よりも、自分を主張したかったのかもしれません。だから、パウロは植える人もいるし、水を注ぐ人もいるし、でもその全てを含めて、最終的に成長させて下さるのは神様だと告げているのです。

この御言葉は、私たちに謙遜を教えています。能力がある人ほど自分を出したいと思うし、他人の能力の低さにイラつくかもしれません。幼子を育てる時に、自分と同じことが出来ないと怒る親がいるでしょうか。怒らず、むしろ励まし、忍耐することが大切だと思うでしょう。そのように、人は外的な要因をどんなに整えたとしても、本当に成長するのは、その本人の内側から出てくるもので成長するのだと思います。ですから私たちもまた、植えること、水を注ぐことは熱心に、けれど成長させて下さるのは神様であるということを受け入れて、互いに自己主張せず、愛をもって生きていきたいものだと思うのです。