聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2015年 10月

「わたしは主によって喜び、わが救いの神のゆえに踊る.」
 (ハバクク書3章18節)

 10月に入りました。10月は一年の中でも、学校、幼稚園、又、地域においても、様々な行事が予定されていることでしょう。特にこの時期、11月にかけては「お祭り」なども多いのではないでしょうか。「お祭り」という言葉は、日本に限らず、世界中の人々が心躍る言葉です。運動会も一つの行事ではありますが、「祭り」の一つだとも言えるでしょう。子どもたちも心待ちにしながら毎日準備しています。
 教会が毎週行っている礼拝もまた、祭です。「祭りごと」という言葉がありますが、古来、政治も宗教は一つであり、どちらに対しても「祭りごと」という言葉を用いました。基本的には「神に仕えること」を意味しています。神に仕える為の祭りごと、礼拝が行われ、聖書が読まれ、そこでは祈りと音楽が欠かせません。「ダビデイスラエルの家は皆、主の御前で糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でた。」(サムエル記下6章5節)「琴に合わせてほめ歌え 琴に合わせ、楽の音に合わせて」(詩編98編5節)等、聖書の中には、沢山の楽器と音楽で持って礼拝を献げている様子を知ることが出来ますし、同時に、上記の聖書の御言葉のように踊りながら礼拝する姿も少なくありません。
 本来、礼拝は聖書朗読と共に、多くの楽器を用いながら賛美され、時には踊りながら喜びの表現を現し、又、香りの良い香や、ロウソクの光など、雰囲気によっても神を知ることが出来るようにと考えられていました。日本の仏教でも、慶事であれ、弔事であれ、アルコールが欠かせないことなどからわかりますように、祭とお酒も深い関係がありますし、踊りも同じように深い関わりがあるのです。けれど、時代の流れの中で、本来、神を賛美することが最も大切であるにも関わらず、衣装、振る舞い、音楽や踊り、食事、アルコール等に心が傾き過ぎていると言われた時代があり、現代の教会の礼拝はどちらかというと、良く言えば落ち着いた雰囲気となっているとも言えます。とはいえ、礼拝とは「祭り」であることには間違いありません。バカ騒ぎは論外ですが、私たちに命を与え、食べ物を備え、家族を与え、人生を与えて下さる方に感謝する。その感謝の喜びを音楽や、踊りで表現することは許されているはずです。
 20年以上も前のことですが、ある年の暮れから新年にかけて友だち数人とフランスのパリにいました。12月31日深夜から新年にかけての礼拝を献げ、それから、その教会に来ていた欧米各国の若者がそれぞれに各国の持ち歌を歌いながら新年を祝いました。その様子はさながら国別対抗歌合戦のようになっていきました。圧倒的に強かったのはイタリアのメンバーで、彼らが歌うオペラ、カンツォーネは他国を圧倒していました。特に圧倒されたのは我が日本のメンバーでした。先に、どうも国別対抗のようになるらしいと聞いていましたから、何か踊ろうと相談しておりましたが、その時踊ったのは、忘れもしません、「炭坑節」でした。結構受けたのを覚えてはいますが、もうちょっと、なんとかならんのか??と思ったのも間違いありません。
私たち日本人、礼拝も、生き様ももっと、もっと積極的に楽しみ、歌と踊りに満たされた人生を歩んでいけたならと思います。皆さん、毎日踊るような日々を過ごしておられますか?