聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2014年 10月

「わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知っておられる。」  
詩編139編4節)
                
 キリスト教とは何か? 一言で言えば、「愛」の宗教だと言えるでしょう。凡そ2千頁に亘って記されている聖書、そこに何が書かれているのか? と問われるとすれば、「愛」が書かれていると答えます。
 けれど、その「愛」を理解することの難しさを感じます。聖書が示す「愛」をどう理解するのか? これが中々難しいのです。古くは「愛」を「御大切に」と訳したと言われています。私たちは、仲の良い夫妻であろうと、互いに、「お前、愛しているよ」、「私も、あなたを愛しているわ」という会話を致しません。むしろ、出来るだけ遠回しにした話し方をしたりもします。例えば「あなた、死んでも、お墓も一緒よ」と皆さんは話されるでしょう(違うとその先が続かなくなりますが(笑)。そのように私たちは、私たちなりの言葉でもって気持ちを通じ合わせるわけです。けれど、キリスト教が示す「愛とは何か」?
 旧約聖書に記されている詩編は150の詩から成り立っていますが、その中でも、この139編4節の御言葉は、神の愛を的確に表現している箇所ではないかと思います。
「わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知っておられる。」
 わたしが何かを語る前から、話す前から既に主なる神は私達を知っているというのです。
 神の愛とは「この私のすべてを知っておられる」ということです。愛とは、相手を良く知っていることです。私自身、幼児教育に携わって長くなりましたけれど、3歳、4歳、5歳ぐらいの年齢で、自分の思いや体調を大人に的確に表現できるお子さんは多くはおりません。むしろ、表現出来ない自分に苛立ちを覚え、泣いたり、騒いだりもいたします。けれど、その一つ一つの言葉を越えて、その態度、顔色一つ見ただけでそのお子さんが言わんとしていることが、言う前から親には良くわかります。それは、熟練した幼稚園の先生でも全くかないません。当たり前だと思われるかもしれませんが、それが「愛」の姿なのです。理由を詳しく記す必要も無いでしょう。生まれて、これまで、その子の全てを知っているのはお母さんであり、お父さんであり、ご家族の方々なのです。愛しているとは、良く知っているということなのです。
我が家の長男が幼稚園の頃に、トミカが大好きでした。100台以上のトミカを持っていましたが、どんなにトミカを愛していたであろうか、愛しているということは、知っているということなのです。
そのようにして私たちの造り主である神様が、私たちの隅々まで、私たちの心の奥深い、誰にも知られたくない部分までも全てを知っておられるのです。あなたの秘密さえも知っておられるのです。そしてその秘密をも赦して下さっている。それが神の愛の姿です。
 キリスト教の神は、裁く神ではなく、赦す「愛」の神です。愛とは何か、それは私たちの全てを知っておられ、私たちの思いの隅々まで知りつつ、裁くのでなく、むしろ、そうせずにはおられなかったでしょう。と自分が言い訳をする前から、弁護して下さる。それがイエス・キリストという方が教えて下さった「愛」の姿です。
みなさん。悪さをした子どもが言い訳を話す前に、「そうせざるを得なかったでしょう。」と先に赦してみて下さい。その言葉によって、子どもは大きく、確かな成長を見せてくれるでしょう。