聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2014年 9月

「サムエルは答えた。「どうぞお話ください。僕は聞いております。」 
 (サムエル記上3章10節)

 聖書は旧約聖書39巻、新約聖書27巻、合わせて66巻でもって構成されています。その中の一つにサムエル記という箇所があります。その名が示す通りサムエルという名前の祭司がイスラエルの民と国を導いていた時代がありました。まだ、イスラエルに王が登場する前の時代です。
サムエルの母親はハンナ、父親はエルカナと言います。二人にとって、特に母親のハンナにとって大きな悩みがありました。それは子供が授からないということです。ハンナはそのことが重荷となり、ある時、神殿に行き、長い間祈り続けました。「万軍の主よ、はしための苦しみをご覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、」ますと祈りました。その様子を見ていた祭司のエリは、あまりにも長い祈りでしたので、ハンナが酒に酔っているのではないかと疑った程でした。しかし、ハンナの思いを聞き、エリも一緒に祈り、程なくしてハンナは身ごもり、誕生した男の子をサムエル(その名は神)と名付けました。
サムエルが成長し、恐らく4〜5歳頃でしょうか。(聖書には乳離れした後とあります。)ハンナはあの日、神殿で祈った祈りの約束を果たすために、神様にゆだねられた子として、サムエルを祭司エリに預けます。サムエルはエリの手伝いをし、祭司の見習いとして一生懸命働き、また、学びました。
数年後のことです。いつものように仕事を終えて部屋に戻り、寝ようと横になった時に、「サムエルよ、サムエルよ」という声がします。エリ先生が呼んでいると思ったサムエルはエリ先生の部屋に行き、「お呼びですか?」と声をかけましたが、「私は呼んでいない、戻っておやすみ」と言われ、おかしいなぁ、と思いながら、部屋に戻り、寝ようとしたところに再び「サムエルよ、サムエルよ」という声が聞こえます。
やっぱりエリ先生が呼んでいると思ったサムエルは再び、エリ先生の部屋に行きますが、エリは呼んでいないというのです。けれど、更にもう一度同じことが起った時に、エリは気がつき、「サムエルよ、戻って寝なさい。もしまた呼びかけられた、『主よ、お話ください。僕は聞いております』と言いなさい。」と教えました。サムエルは戻って、横になろうとした時に、四度目の声を聞きます。「サムエルよ。サムエルよ。」サムエルはエリの教えの通りに「どうぞお話ください。僕は聞いております。」と答えましたら、声が続きます。その内容はエリの子孫が祭司を継ぐのではなく、サムエルがその後を継ぐというものでした。 
その後、主の言葉通りサムエルがエリの後を継ぎ、主の預言者(神の言葉を預かり伝える人)として人々を宣べ伝え、歩むべき方向を示し、サムエルを通して主御自身が現されました。「サムエルの言葉は全イスラエルに及んだ」とあります。
さて、みなさん、現代はサムエルのように、神の言葉が直接聞こえては来ません。私も一度は聞いてみたいと願っていますが、残念ながら聞こえては来ません。でも、その代り、私たちには「聖書」が神の言葉として与えられているわけです。「聖書」は私たちに「Good News、良い知らせ」を伝えています。
その御言葉をサムエルのように、私たちもしっかりと「聞き」ながら、神の言葉を「受け取り」豊かで、健やかな9月を過ごして参りましょう。2学期のスタートを笑顔と希望で持って、過ごして参りましょう。