聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2014年 7月

「子ども達をわたしの所に来させなさい。妨げてはならない」          (マルコによる福音書10章14節)

 「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。『子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。』」 
(マルコによる福音書10章13〜14節)
私の大好きな聖書箇所の一つです。「人々が子供たちを連れて来た。」とあります。人々とは、お母さん、お父さんではありません。恐らく近所の大人の人々です。古来、子どもたちは家族内だけで育てるのではなく、「地域で育てるもの」という感覚がありました。
私も、幼い頃は、近所の友達の家に行っては、おやつを食べ、ご飯まで頂戴し、時には泊まったり、年代層も違うけれど、近所の仲間が一緒に遊んだり、釣りに行ったり、小さな冒険をしたり、時には悪さをして全員が叱られたりと、そんな環境で育ちました。そのような育ち方は、今、考えると恵まれた育ち方だったかなと思います。子供たちは社会のコミュニティと言いますか、共同体の中でこそ、健やかに育つものではないかと思うのです。自分たちが社会共同体に所属している「所属感」を育てることは大切なことです。現代の子育ての問題の一つは「所属感」があまり育たないところにあると私は思っています。
現代は、父親のみならず、母親も働くことが当たり前となりました。働くことが良いとか、悪いということはここでは触れません。しかし、両親とも働きますと、長い間子どもを預ける施設が必要となります。政治家はそのような施設を沢山作ろうとしています。けれど、その考え方は少なくとも「子ども目線」ではありません。その弊害として、しっかりとした「所属感」を持たない子どもが成長するかもしれません。
「所属感」が薄いとどうなるかというと、幼い頃にはあまり表出しないかもしれませんが、思春期と呼ばれる年齢頃には、自分はどこに所属しているのかと悩み、居場所を探し始めます。そして、時として、社会的に良くないと思われるグループに入り込んだり、おかしな宗教に勧誘され、そこに本物があると思わされたり、「あ〜、自分はここに所属している」という思いが心を支配し、安心する場所として受け入れてしまう危険があるのです。このような所属感は、勿論「偽物」です。だから、いつかはもっと深く傷つく可能性さえあるのです。それでも尚、子供たちは自分の居場所を探し続けるのです。
だから、私たちはもっと愛のこもった、柔らかな、温もりのある社会共同体を形成しながら、あなたの居場所はここにあるよと、特に幼い子供たちに対して、安心できる場所を、家庭においても、幼稚園においても提供し続けることが求められていると思います。
エス様は話されました。「子供たちをわたしのところに来させなさい。」究極的には、人間は私たちに命を与えて下さった「神様に所属している感」を育てることが大切だと私は思っています。家族に所属することも大切です。地域社会に所属することも大切です。幼稚園、学校、社会、国家に所属することも大切です。でも、現代の私たちは、生涯同じ場所で生まれ、育ち、結婚する方のほうがずっと少ない社会です。むしろ、地球のどこにいても、誰といても、何歳になっても「自分は神様に所属している感」があれば、そこに安心があるのです。私たちは大人も子供も神様の子どもです。安心して過ごして行きましょう。