聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2023年 7月

旧約聖書アモス書5:4

「まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ。」

アモス書5:6

「主を求めよ、そして生きよ。」

 

 アモス書5章の小見出しは、「悲しみの歌」となっています。アモスの時代の人々は悪政に苦しめられており、治世は乱れ、神殿も悪の巣と化していたのです。あまりの悪なる姿に諸国民に対する審判が語られています。

 アモス書は旧約聖書「12小預言者」の第3番目の書であります。そしてアモスという預言者は、預言書というものを遺した最初の預言者であったのです。彼は北イスラエル王ヤロブアムの治世末期にベテルの王国の聖所、サマリアの都で王国滅亡を預言したのです(前755年頃)。

 北イスラエルの支配階層の繁栄による傲り、社会的不正、民族主義的傲慢、を批判したのです。そして、貧しい者を苦しめる支配者層を痛烈に悪と断じ、王国の滅亡を預言したのです。

5:14には「善を求めよ、悪を求めるな」。15節には「悪を憎み、善を愛せよ」

そのような言葉が記されています。

 

 現代はアモスの時代からどれほどの時を経ていることでしょうか。しかし、現代もまた、相も変わらず、悪がはびこっています。世界は核をちらつかせながら、正義という名の下で、戦争という人殺しをやめようとは致しません。

 多くの大切な命が、理由なく奪われているのです。弱肉強食の理論がまかり通っています。宗教さえも、途方もない高額な献金を要求し、家庭をボロボロに破壊し崩壊させているのです。尊い命は軽く扱われ、日常茶飯時的に平気で命を奪う輩が出没しています。

 陰湿ないじめは悲しむべき自殺者を生み出しています。虐待する保育者や保護者、心痛む事件のかずかずが起きています。

 何を求めて生きているのか。何を指標として生きているのか。何を見つめ、何を頼り、この命を生きながらえさせれば良いのか。アモスは、暗闇のその中で、光の見えない不毛のような現実を見つめながら、「わたしを求めよ、そして生きよ」「主を求めよ、そして生きよ」との希望を主の言葉に託して、命ある者にエールを送っているのです。

 求め、委ね、信頼することができ、行く道筋を照らし出してくれるのは、一体誰なのか、何なのか。闇の中に輝く一筋の光は果たして存在するのか。聖書は「存在するのだ!」と言っているのです。他者を排除し、自己主張を貫き通し、自我丸出しのところに希望はないでしょう。「善を求めよ、悪を求めるな」。「悪を憎み、善を愛せよ」、謙遜にへりくだり、「主を求めて、そして生きよ」そこに、希望が生まれ、見えてくるかもしれません。