菊池牧師による聖書の言葉

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2019年 7月

「まことの光が輝いているからです。」  ヨハネの手紙一 2章8節

 「まことの光が輝いているからです。」という御言葉に続いて、聖書はこう記しています。

「光の中にいる」と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。」

 兄弟とは隣人という意味です。隣人とは、両親であり、兄弟姉妹であり、夫であり、妻であり、子どもであり、同僚であり、自分の人生と共に歩んでいる全ての人たちです。そのような「兄弟」を憎む者は、今もなお「闇の中にいる」とは随分厳しい教えのように思います。

 とはいえ、最近、神奈川県内の、割と近い所で、恐ろしく、また悲しい事件が何件も起こりました。悲しい事件を起こしてしまう人たちの心は、きっと暗闇です。でも、私も、暗闇ではないけれど、なんだか薄暗いかな。と感じている人々は、きっと沢山いるのではないでしょうか。

 薄暗さを感じている人の特徴は「不安」を抱えているということです。先日、大塚平安教会では、特別な礼拝を行いました。もうすぐ90歳となる青山学院大学名誉教授の関田寛雄牧師をお招きしてお話を伺いました。関田先生は私の学校の恩師でもあります。とても愛して下さった先生で、今でも親しくさせていただいています。教会にお招きして、二人で話をしている時に、ある話が出ました。

 26~7年前の話です。当時、神学生だった私の、学年では三つ上の先輩がいて、先輩と言っても当時で60歳近い方でしたが、その方が最近天に召されたのです。でも、召されるまで現役の牧師をされていました。その方がまだ学校を卒業する一年以上も前に、体調を崩し、検査の結果、癌であると分かりました。緊急の手術をして、一命を取り止めましたが、その後も抗がん剤治療の生活となり、治療しながら学校に通っておられました。もしかしたら出席日数は足りなかったかもしれませんが、学校も事情が分かっている上に、なによりも抜群の成績でしたので、進級が許可され、最終学年となり、ついに卒業も認められました。赴任する教会も決まったところで、その先輩は関田先生を訪ねました。そして、誰にも言えなかった不安を打ち明けました。「先生、私は癌の治療をまだ行っています。このまま赴任先の教会に行っても良いのでしょうか。行っても役に立たないかもしれません。ただ迷惑をかけるだけかもしれません。どうしたら良いのか、とても迷っています。」と相談したそうです。関田先生はその時、こう答えられました。

「あなたの不安は良く分かります。それでも教会が来て欲しいと願っているのですから、教会に行きなさい。行って、一度だけでも良いからその教会の礼拝で神様の御言葉を取り継ぎなさい。もし、それで倒れたとしても、あなたは十分に神様のお役に立っていると思います。たった一度でも十分なのです。」と言って励ましたそうです。その関田先生の励ましによって、先輩の不安は消えて、決心して、教会に赴任し、依頼27年間、元気に現役生活を全うされました。召される一か月前までは本当に元気だったそうです。

 あの時、もし、関田先生の励ましが無かったら、その方の生涯は違っていたかもしれません。

 今、多くの方が「まことの光」の御言葉を見失っているかのように感じます。まことの光は、その人に暖かさと明るさと希望を与え続けておられます。私たちはその光にふれて、薄暗いなぁと思っている心があるとしたら、新鮮で澄み切った光の中に入って、前向き、肯定的な心となって、笑顔で、今日も、明日も、明後日も、神の光の中で、兄弟を愛し、隣人を愛し、子どもたちを愛して過ごしていきましょう。