聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2016年 3月

「義の実は、平和を実現する人たちによって、 平和のうちに蒔かれるのです。」 
               (ヤコブの手紙3章18節) 
                                                       
 二月上旬にインフルエンザに罹り、一週間自宅で静養しました。布団から起き上がることが出来るようになってからの時間、買っておいた小説を読もうと決めて何冊か読みました。特に原田マハという作家が書いた「僕ら生きる」という本がとても印象深く残っています。主人公は麻生(あそう)人生(じんせい)君、24歳です。人生君は、小学生の頃に両親が離婚し、母親と二人暮らしの生活を送ります。中学、高校といじめに遭い、高校は中退してしまいます。それでも社会に出てお母さんを助けようと決心し、社会に出るのですが、社会でもいじめに遭い、結局は「引きこもり」の生活に陥るのです。それが18歳〜24歳までの6年間、朝も昼も夜もお母さんは二人の生活を守る為に働きに働き、引きこもっている人生君の為に食事を作り、人生君の命を繋ぎ続けますが、ついにお母さんも疲れ果てて、人生君が24歳の時に、「私も疲れた」という手紙と5万円を置いて家出をしてしまうのです。驚いた人生君、ついに引きこもっていた部屋から出て来ました。出で来なければ生きていけません。しかし、出てきても生きていけません。どうしようかと悩む中で、5万円の側にあった十枚ほどの年賀状の中に、父方の母、つまり、蓼科に住んでいる「マーサ婆ちゃん」の年賀状を見つけ、幼い頃に遊んだ蓼科を思い出し、5万円を握りしめて蓼科に向かいます。何年振りかで会えたお婆ちゃん、「お婆ちゃん」と声をかけたら、「どちら様」と問い返されてしまいました。なんと、お婆ちゃんは軽い認知症になっていて、孫であることがわかりませんでした。でも、優しいお婆ちゃんはわざわざ訪ねて来た人生君を暖かく迎え入れ、もう一人の孫で、こちらは対人恐怖症の20歳の「つぼみちゃん」と共に三人での生活が始まるのです。彼らは、認知症、引きこもり、対人恐怖症といった、それぞれの苦悩を抱えながら、それでも蓼科の命あふれる自然と、とても非文化的な生活の中で、人として忘れていた大切な事を次第に取り戻していくという設定です。最後まで本当に清々しく読むことが出来ました。

 なぜ、良かったのかというと、小説の中に登場する一人ひとりが、色んな人生歩みながらも、蓼科の生活の中で、誰一人として意地悪な人、嫌味な人、妬むひと、蔑む人が登場しないのです。登場する人は、皆優しく、思いやりがあり、気持ちの行き違いから喧嘩することがあっても、最後には分かり合える、その中で人生君の人生が生き生きと輝いていくのが分かります。

 「人はふれる物に似る」これは、私が良く話す言葉ですが、意地悪な人は、ごく近いところで意地悪をされています。いじめる子は大抵どこかでいじめられています。だから、人は良いものにふれ、良いことにふれなければなりません。それと同じように、武器を手に持ちつつ、平和を訴えることはとても変です。核武装をしながら平和を願うことはおかしなことです。「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。」とは、平和という手段が蒔かれるところに、平和が育ち、平和が実現していくということです。少し極端と感じられるかもしれませんが、どんな憲法や法律があるとしても、それを用いるのは人です。人の心が平和であれば、どんな法も平和に用いられるでしょうし、人の心に恨みや憎しみがあるのであれば、どんな法も争いに用いられるでしょう。
 
 だから、大切なことは、ただ一つ、私たちが平和を蒔いていくことです。誰でも出来ることです。武器は入りません。そのように生きていきましょう。