聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2016年 1月

「平和の福音を告げる準備を履物としなさい。」
      (エフェソの信徒への手紙6章15節)

 新しい年が始まりました。皆さん、今年も宜しくお願いします。昨日、体重計に乗りましたらいつもより若干体重が増えて、暮れからお正月に戴いた御馳走のツケがお腹の回りについているように感じます。なんとかしなければと考えておりましたら、今月、与えられた御言葉が「平和の福音を告げる準備を履物としなさい」という御言葉でした。なるほど神様は素敵な言葉を備えて下さいます。

 どういうこと?と思われるかもしれませんが、平和の福音を告げる準備とは、「履物ですよ」ということです。履物とは、つまり、足のことです。平和の福音を告げるには「足」を使うことだと聖書は教えているわけです。御馳走の由来は、古来、客をもてなすため、馬を使ったり、自らが走り回ったりしながら、食材を集め、料理を作ったところから来ていると言われます。皆さんもきっと、あっちに走り、こっちに走り。多分車で(笑)。でも、大変だったことと思います。家内も暮れから正月にかけて、あっちに走り、こっちに走り、台所に立ちっぱなしで、ついに腰が痛いと唸っておりましたが、そのお蔭で美味しい料理を頂き、良いお正月となりました。美味しい料理を食べて貰いたいと思うと、人は「足」を運ぶのです。その時間と手間によって美味しい料理となるのだと思います。不思議なことに、一生懸命作った御節料理に不平不満を言う人は、決まって、足を使わない人です。すなわち、私のように座って待っている人です。これはまずいとか、これはからいとか、まあ、言いますね。

 2学期の終了後に、幼稚園の先生方と一緒に食事会を致しました。その時に、園庭で誰がよく走っていたのかと話題になっていました。園庭で走るとは、子ども達と一緒にいるということです。「一生懸命走っては、砂場で休憩」と笑っていました。でも、その会話は素晴らしいと思いました。なぜドレーパー記念幼稚園が皆さんに愛されるのか?それは先生方が履物をしっかり履いて、足で仕事をされているからです。頭と知恵だけで仕事をするのとは訳が違います。なぜか「心」が違うからです。心が一生懸命になれば、人は頭を使うより早く「足」を使うようです。だから、「平和の福音を告げる」ためには履物の準備が、足の準備が、必要なのです。それではどうやって足の準備をしますか?まずは「歩く」ことです。すなわち、コツコツとスタートすることです。今年10の目標があるとする。でもいきなり5とか7には到達しません。1からのスタートです。これしかありません。自分の健康の為にも歩くことがどの本にも良いとされていますが、そのようにして特に良い習慣を得るためにも、忍耐をもってコツコツと始めることです。そのような人こそ「平和の福音の基」となれる人ではないでしょうか。

 二つ目、あなたならではの「履物」、すなわち歩みを歩かれることです。人それぞれに、人生の歩みが違うように、歩かれる速度も違います。違っていて良いのです。他の人に合わせなくても良いのです。主イエスは「野の花を見なさい」と言われました。それは、野の花が紡ぎもしない、働きもしないけれど、どれほど美しく咲いているのかを知りなさいという意味ですが、野の花を見るには、ゆっくりと歩かなければなりません。新幹線では絶対に見られませんよ。あなたの速さで、そして、しっかりとした足取りで、体も、心もスッキリとしとした一年、皆さん一緒に過ごして参りましょう。