聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2018年 4月

「子供たちをわたしのところに来させなさい。」…そして、
子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。 
           マルコによる福音書10章14〜16節

 既にご存知の方も多いかと思いますが、私の出身は岩手県です。牧師になるための神学校を卒業して、初めて赴任した教会も岩手県の花巻教会という私のほとんど地元の教会でした。花巻教会に凡そ8年おりましたが、その頃、巷で盛り上がっていたことの一つに、岩手県出身の力士で、久しぶりに幕内に入った力士がいて、栃乃花という名前でした。明治大学相撲部出身でイケメン力士でもあり、当時はかなり人気がありました。好成績を収めて岩手に帰京したときには、地元ニュースでは一番先に放送されて、小さな子供たちを連れた親御さんが大勢集まっていました。是非、栃乃花に抱っこしてもらいたい。そんな思いだったろうと思います。

 イエス様の周りに集まってきた人々も、それぞれ子供たちを連れてきていました。人々の願いはイエス様に子供たちの頭に手を置いて祝福して頂きたい、また抱きあげて祈って頂きたい、という願いだったと思います。
ところが、イエス様の周りにいた弟子たちはその人々を叱りました。イエス様は忙しいからとか、そんな面倒ことをイエス様にお願いするものじゃない、そんな思いで接したのではないでしょうか。けれどイエス様はその様子を見て、「憤り」弟子たちに言われました。「子供たちをわたしのところに来させない。」
 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福してくださいました。

 さて、ここで大切なのは、子供を連れてきたのは「人々」であったということです。人々とは、母親でもなく、父親でもなく、勿論そういう場合もあると思いますが、地域の「人々」が子供たちを連れてきたというのです。その姿は、子育ては「地域の責任」という思いが昔からあったことを連想することが出来ます。

 現代社会、特に首都圏に住む私たちの中に、子育ては地域の責任という考え方がどこまで育っているでしょうか。むしろ核家族化が進み、情報は遮断され、プライベートが大切にされます。昔は地域に「子供会」があって、そこに集う子供たちは、年齢を超えて自然に遊んだり、集ったり、虫取りに行ったり、魚釣りにいったり、自転車を教わったりしながら、いわゆる社会性を学んだのだと思います。社会性とは、つまりは人間関係を学んだということです。子供の頃にこそ、健全な「人間関係」の中で生きることがとても大切だと私は思います。特に就学前の子供たちにとってはとても大切だと思っています。

 そんなことを思いますと、勿論、家庭だけで子育ては出来ず、けれど、幼稚園だけでも子育ては出来ません。大切なのは、「関係」です。皆さんのご家庭と、幼稚園と、父親と、母親と、ご家族と、園の先生方と、そして、友達とが、みんなが一緒になって、いわばゴッチャになって、そこで素敵な「人間関係」を作り上げることがとても大切なのだと思います。行政がどんな目的で、あるいはどんな言葉でもって、「子育てとは何か」とか、「自主性を重んじよう」という言葉を用いるとしても、もっと大切なものがあるのです。

 人は一人一人が生きていて、命があって、だから、何かの型にはめることなど出来ません。イエス様が無条件で、無尽蔵に子供たちを愛されたように、子供たちの心の中に、生きる喜びがほとばしるようにと願いながら、2018年度も、皆さんと一緒に歩めたら良いなと思っています。