菊池牧師による聖書の言葉

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2018年 2月 

「愛は、すべてを完成させる絆です。」コロサイの信徒への手紙3章14節


 最近、私がハマっている本に『ジブリアニメで哲学する』(小川仁志著 PHP文庫)という本があります。哲学者の著者が宮崎駿監督のジブリ映画を哲学的な観点から記しています。とはいえ、決して難しい文章ではなく楽しく読めます。例えば、「風の谷のナウシカ」という映画がありますが、その中で「風」とは何か?「虫」とは何か?「自然」とは何か?という表題をつけながら、風や虫、自然について考えています。ナウシカの映画が描かれている背景には、人と人との大きな争いがあって、その為空気が汚染され、普通に呼吸すると肺がやられて死んでしまう程に、空気汚染がひどい状況となり、わずかに「風の谷」だけが、風の流れのおかげで、防毒マスクをしなくても大丈夫なようになっているという設定です。

 これまでの近、現代で人間が築き上げてきた文化は、どこかで自然と対立するようにして成立してきた文化ではなかったかと私は最近特に感じています。田舎の静かな田園風景とは、人間が一生懸命に自然を開拓して、畑を作り、水田を作った究極の人工物だと説明された方がおられて、なるほどと納得したことがありましたが、それでも畑や、水田は、自然と共にあったと思います。けれど、いつの間にか、そこで採れる農作物に、農薬が使用されたり、DNAが操作されたりして、自然とは離れて行ってしまっているように感じます。つまり、自然と共存出来なくなってきているのではないか?と思うのです。人間の精神的な疲れや、ある種の病気は大自然の土にまみれるだけで良くなる、土はそういう力を持っているとも言われます。畑仕事や、自然と共にいる時、私たちはとても気持ち良くなり、ストレスが減退していくことは皆さんもよくおわかりでしょう。著書の中にも、「自然との絆を取り戻すことさえできれば、自然は本来の働きをしてくれます。」とありました。聖書には人間が自然を管理することを神様から任されているように記されている箇所がありますが、それを人は、長い間、支配することと捉えて来たのかもしれないとも思っています。私たちは自然を支配して、人間の好き勝手を行って、しかし、それは逆に、人がとっても生きづらくなってきているとしたら、私たちの自然に対する管理は間違っていたのだと思うのです。例えば原子力の使用などにも深く関わりがあることではないでしょうか。

 私たちは、神様から命を頂き、地上での生活を過ごしていますが、それと同じように動物も、昆虫も、魚も、植物も、皆命があり、そして皆が同じ地上を生きているのは、大切な意味があると思います。そして、支配や争いの中からは互いが互いを大切にする絆は生まれてきません。絆とは「つながり」です。自然とつながりあう、しかし、更に言えば、自然に対して、私たちは常に自然に従うしかないのです。自然のほうがずっと大きく力があることを忘れてはなりません。

 今月の聖書の御言葉は「愛は、全てを完成させる絆です」という御言葉です。私たちと繋がるのは、自然だけでもありません。何よりも、人と人が繋がっていることが大切です。自然は自然だけでも形成されていくでしょう。でも人は一人では生きていけません。だから、家族を求め、人と人が共存しあい、社会を形成しようとします。その社会の中で、恐らく最も大切なものは、「愛です。」聖書の中に、「信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る」とあります。「その中で最も大いなるものは、愛である。」とも記されています。信仰よりも、希望よりも、愛が人と人を、そして人と神を繋げるのだと思います。私たちも、この3学期、繋がりながら、愛を持って生きていきましょう。