聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2017年 10月

「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。」  創世記12章4節

 アブラムとは後に「信仰の父」と呼ばれ、多くの人々から愛され続けているアブラハムのことです。イスラエルの歴史の最も根源的な人と言っても良い人です。その最初はこんな言葉から始まります。「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように。…』」

「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。」アブラハム75歳の時でした。

 アブラハムはこの時、「わたしはもう歳ですから、勘弁して下さい」とか「別の人にしてください」とは言いませんでした。神様の御言葉だけを信じて、妻のサラを連れて、住み慣れた場所から旅立ったのです。全てはそこからが始まりです。

 さて、あなたは一体何歳の時に、人生の旅立ちを迎えたと思われますか?何をもって「旅立ち」と定義づけるかによっても違ってくると思いますが、基本的には、自分の力で生きていこうとした時が、その時だとしましょう。そう考えるとすれば、私は高校卒業後です。その後の大学の学費も、神学校での学費も全額を自分が働いて支払いました。もっとも高校も奨学金で通学し、更には中学からずっとバイトもしていましたけれど、親元からの生活ですから自分の力で生きていたわけではありません。でも高校卒業後からは自力です。自分としては体が壊れるほどに働き、精一杯に生きました。その結果、本当に体が悲鳴を上げ、精神的に限界を感じ、無力感だけが残りました。世の中、誰も支援の手を差し伸べる人もなく、世の中は冷たいものだと思っていました。このようになっていくのは、「世の中が悪い」と思い、「生まれた時代が悪い」と思い、全ては上手くいかない理由を、自分以外に原因を見つけて「闇の中」を生きていました。20代前半の頃です。けれど、そう思っている間は何も解決しなければ、何の進展もありません。全ては自分以外の何かが「悪い」から今があると思っていたからです。結局のところ、私は少しも人生を旅立っていなかったのだろうと思います。多くの人や物に依存し、外的要因によって人生が変わるのだと思っていたからです。

 「信仰の父」と呼ばれるアブラハムも旅立った後、何度も生きていく為の危機を迎えます。その度にアブラハムならではの考え方で、つまりはとても人間臭いアイデアと知恵で乗り切ろうと頑張るのです。けれど、それが必ずしも成功するわけではなく、時にはヘマをしながら、でも少しずつ人間的に成長を遂げていく様子が聖書に記されてあります。そして、ついに自分達の最大の悩みであった子どもが授からないという難題が神様の約束通りにアブラハム100歳の時、妻のサラ90歳の時に愛する独り子のイサクが誕生するのです。その時アブラハムはもはや神以外の何物にも頼らないと決意したのではないかと思います。

 私の人生の旅立ちも、今から思えば、決して高校卒業後ではありませんでした。主なる神と出会い、神以外の何物にも依存しなくて良く、神以外の全ての権威や権力から自分は解放されたのだと思い知らされた時だったと思うのです。その時20代後半となっていました。そこから不思議なほどに、幸せと平安が私の中に訪れます。
 
 皆さん、あなたの本当の旅立ちは何歳だと思われますか?