聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2017年 9月

「求めなさい。そうすれば、与えられる」  マタイによる福音書7章7節                      
 
 ゴスペルと呼ばれる歌が流行っていると聞くことがあります。「ゴスペル」というジャンルの歌と考えることも出来ますが、その意味は「福音」という意味です。福音書の福音で、「良き知らせ」とも訳せます。例えば今月の聖書箇所はマタイによる福音書の7章からですが、福音書とは「良き知らせ」を伝えている書物と言うことも出来ます。聖書は「良き知らせ」で満たされているのです。

 ですから、「求めなさい。そうすれば、与えられる」とイエス様が教えておられるわけですから、これも良き知らせとして受け止めて、「そうだな、いつも求めて生きていこう。そうすれば、与えられるのだから」と思いながら生きていくことです。それだけで十分なのです。けれど、そんなに簡単にはいかないんじゃないの?と考えてしまう私たちがいるのではないでしょうか。どうしてでしょうか?心のどこかで「求めたって、与えられない」って思っているところがあるからかもしれません。

 例えば、風邪をひいて医者に行ったとします。大抵の場合、医者は薬を最後まで飲みなさいと伝えます。不思議な事に、自分の子どもが風邪をひいて、医者に連れて行った場合、そう指導されますと親はもう大丈夫だなと思っても、少々子どもが嫌がっても最後まで飲ませるのではないでしょうか。でも、自分のことになると、一度、二度、飲んでみた、そしたら熱が下がった。もう大丈夫、薬を飲むのは止めようとするかもしれません。医者の立場からすれば、どうしようもない患者と言われるかもしれません。本当に治ったかどうか、自分で決めることが出来ると、私たちは思っているところがあります。そのようにして、自分で決められると思っていると聖書が「求めなさい。そうすれば、与えられる」とあっても、自分で「無理!」と思えばそこでもう意味がなくなってしまうのです。だって自分で無理と決めているからです。

 ところで、私の友人の一人が個人で塾をしています。その彼に、どんな子どもに教えるのが一番大変か?と聞いたことがありました。彼は即答で「自分に自信を持っていない子」と答えました。つまり最初から、どうせやっても無理と、自分で自分を決め付けている子に対して教えるのが大変だというのです。やれば、やっただけの成果が出るのだと思わせるまでがとても大変だというのです。でも、この話は何も、子どもだけの話しではありません。聖書の御言葉の話しです。私たちの人生の中にあって、いつも晴れの日ばかりではなく、雨も嵐もやって来ます。その雨や嵐に長い間当たってしまうと、より一層「無理感」が強調されてしまうかもしれません。ではどうするのか、私は「求めるとは、神様に委ねようとする決心です。」と話すことがあります。

 でも、同時に神様に委ねることと、諦めることと、あるいは、どうにでもなれ、のような思いとは全く違います、とも話します。神様に委ねるとは、神様以外の他の誰にも委ねないということです。人任せにしないという決心でもあります。誰が何をどう言っても自分はこの思いを持ってと決心していくことです。私の義弟は、今はある大学の准教授ですが、その彼が大学受験の時、目指した大学が最難関であったこともあり、3度受験に失敗して、親戚中からも、母校の先生からも、もう止めてしまえ!と言われていたそうです。でも彼は諦めずに、挑戦し続け、そして合格しました。合格したと聞いた時、母校の先生は、手のひらを返したようになって、胸を張って「私の教え子です」と言ったそうです。今では笑い話です。人の意見や思いに左右されず、主イエスが語る「求めなさい。そうすれば、与えられる」それはあなたにこそ向けられた御言葉なのです。