聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2017年 7月

「天よ、喜び祝え、地よ、喜び踊れ」 詩編96編11節                           
 私の故郷、岩手県花巻市で誰が一番知られているかというと、童話作家宮沢賢治だと思います。賢二の妹は、宮沢としという名で、大変優秀で、岩手から上京して日本女子大家政学部を卒業しました。大学を卒業した後、地元の高校の英語の教員として迎え入れられ英語教師をしていましたが、その頃、英語の勉強もかねて盛岡の教会に通い、宣教師から英語で聖書を教わりキリスト教に傾倒していたと言われます。賢二も時々、一緒に通ったと思われます。残念ながらとしは24歳で病死します。

 また、賢二の親友として知られている斎藤宗二朗という人は、花巻最初のクリスチャンと言われています。彼からも色々と影響を受けたのでしょう。宮沢賢二の作品はキリスト教的な教えが随所にみられることが知られています。
宮沢賢二は花巻農業高等学校の先生をしていたこともありましたが、学校を退職して、本当の百姓になると決心して、農業をはじめ、その頃「農業芸術概論」を記します。その著作の冒頭に「世界全体が幸せにならないうちは、個人の幸せはあり得ない」と記してあるのです。この言葉は良く知られていて、今でもお土産屋さんにいけば、色紙やタオルに印刷されて売られています。でも、当初、私はこの言葉に少なからず抵抗感を感じていました。つまり、世界全体の幸福のためなら、個人の幸せについては耐えるとか、諦めなければならないという思想ではないかと思っていたからです。

 賢二が生きた時代は、1900年代初頭です。日本は、日清戦争(1894年)、日ロ戦争(1904年)、第一次世界大戦(1914〜18年)と勝利し、更に朝鮮半島や中国、東南アジアを支配した時代でもあります。国全体が国粋主義へと向かっていた時代でもありました。ですから余計に、私は賢二の言葉の意味を簡単には受け入れられないように思っていたのでした。

 けれど、どうも私の考え方は違っていたようです。賢二が「世界全体が幸せにならなければ」と考えていた世界とは、例えば日本という国だけでもなく、敵対する国でもなく、地球全体の国だけでもなく、地球の命あるものも、命の無いもの(岩とか、水とか、無機物と呼ばれる全て)も、全てが含まれて幸せにならなければならない。更には地球だけでもなく、この太陽系、銀河系、宇宙全体も幸せにならなければならない。そのような幸せの中でこそ、個人もまた幸せに生きられるのだという思想であることを知らされました。そのことを知って、私はとっても感動しました。多くの人間が自分達の幸せを考えていた時代に、自分達の国だけを考えていた時代に、今もきっとそういう時代でしょうけれど、全てのものの幸せを願っている思いに心を打たれました。

 今月の聖書のみ言葉は「天よ、喜び祝え、地よ、喜び踊れ」という御言葉です。これに続いて「海とそこに満ちるものよ、とどろけ 野とそこにあるすべてのものよ、喜び勇め 森の木々よ、共に喜び歌え」となります。この詩は、天地を造られた主なる神に賛美を献げ、更にその創造された世界が喜び、歌い、踊れる世界になりますようにと願って記されています。大切なことは、私たちはそのような環境に生きていないと嘆くのではなく、そのような環境と思いと願いを作っていこうとする気持ちではないでしょうか。そんな健やかな思いが子どもたちの心と体を本当に素敵に成長させて下さるのだと思うのです。