聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2015年 1月

「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」
 (詩編133編1節)

 今から500年程前、1517年に「宗教改革」が起こり、カトリック教会からプロテスタント教会が誕生しました。当時教会の礼拝は、どの国のどの教会も、ローマ帝国の言葉であったラテン語で聖書を読み、ラテン語で祈り、説教をし、また、聖職者による特別な聖歌隊が讃美をするという具合でした。礼拝に集う多くの人々にとって、あたかも、日本のお坊さんが私達には理解不能のお経を唱えている、それを聞いているような礼拝のあり方でした。ですから、一方では人々が理解し易いように宗教画や聖像といった美術品が沢山作成された面もありますが、礼拝は専門の人々が行うものと考えられていたと思われます。
反面、果たしてそのような礼拝が良いのだろうか?という問いが、長い間教会に問われ続けてもいました。そして、時が満ちたのでしょう。ドイツの聖職者で、教会の指導者であったルターという人が、聖書を自分達の言葉で読めるようにとドイツ語に翻訳をし、ドイツ語の礼拝をスタートさせたことが宗教改革の発端ともなります。さらに、改革の波はヨーロッパ各地に広がり、プロテスタント教会が建てられていくわけですが、次第に現代の私達の教会が行っているように、聖書は自国語で読み、自国語で説教され、賛美歌は会衆のもとへと帰って来ることになります。
賛美歌は宗教改革によって飛躍的に成長を遂げます。その成長の過程で、詩編にもメロディが付けられ、礼拝で讃美されるようになりました。その賛美歌を「ジュネーブ詩編歌」と言います。
スイスのジュネーブにはプロテスタント教会の中心的組織の「世界キリスト教協議会」の本部があり、実は私も15年程前に訪問した思い出がありますが、大変美しい町であったことを思い起こします。
そのジュネーブ詩編歌の中に、詩編133編1節の御言葉、「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」と讃美される歌があるのです。とても短い御言葉ですが、単純なメロディを繰り返し、繰り返し、歌いながら主を讃えているのです。私の大好きな賛美歌です。
兄弟とは“brother”、姉妹は“sister”が訳されたわけですが、西欧語と日本語の違いが少しあります。西欧語が“brother”、“sister”と言った時、そこには縦の関係がありません。誰が兄、姉で誰が弟、妹なのかという意味は含まれてなく、横並びの関係の言葉です。けれど日本語の兄弟、姉妹という言葉は言葉の性質上どうしても、兄と弟、姉と妹の縦の関係が示されます。言語的にどちらが良いとか悪いということではなく、この詩編の「兄弟」という言葉は、縦関係ではなく、上下関係でなく、年齢に関係なく、全ての兄弟、姉妹が一緒に神の前に座り、一緒に喜んでいる姿なのです。それは、「神の前に人は全て、平等である」というプロテスタント教会の信仰のあり方に重なる思いが致します。
私たちは、どの国の人々も、どの民族の人々も、女性も、男性も、子どもも、大人も、家族も、仲間も全てが神の前に等しくされているのです。そして、それがどんなに喜びであるのかを感じて欲しいと願います。私達は、自分で「自分ってダメだな」と思ったりします。子どもは親からしょっちゅう「ダメ」と言う言葉を聞きます。でも、神様は「ダメではない」、あなたも、あなたも、私の愛する子と言って下さっているのです。私たちは皆、神の前では兄弟、姉妹です。そこに私は神の深い愛を感じているのです。