聖書の言葉 幼稚園保護者向け

2023年3月までの文章は菊池牧師、2023年4月からは小林美恵子牧師による文章です。

2013年 10月

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」 
 (ヨハネによる福音書15章12節)

 牧師となり最初に赴任した教会は岩手県の教会でした。そこで長男が誕生し、次男も誕生しました。長男が幼稚園を卒業するまで過した懐かしい土地です。楽しい思い出が沢山あります。
 新米の牧師として熱意に燃え、一生懸命に伝道をと願い、生活していましたが、ある時に、大きな困難を感じたことがありました。ある女性と意志の疎通が十分に図れず、話せば話すほどに、どうしても意見が合わないのでした。私の方も一生懸命でしたが彼女も必死でした。それでいて尚、上手くいかずに悩みに、悩んでいました。
 そんな時に助けて下さった方がいました。山形県の大きな教会で牧師をされていたT先生でした。電話で何度も相談し自分の苦しい思いを伝え、それでも尚自分の何が不足しているのか皆目見当もつかない、わけがわからない、そんな私の思いをT先生はしっかりと支え、聞き続けて下さり、そして、聞き続けることの大切さを沢山教えて下さいました。2年ほど学び続けて、私はあの苦手な女性と仲良くなることがようやく適いました。貴重な体験でした。
 人を愛するとはどういうことなのでしょう。今月の聖書の御言葉には「互いに愛し合いなさい」とあります。この御言葉は「互いに」という言葉が強調されているかのように感じます。「互いに」愛し合うとは例えれば恋愛感情のようなものです。恋心が成就して互いに大好き同士のカップルは幸せ一杯です。苦しく、辛いのは、片思いの恋愛です。学生時代や若かった頃にはきっと、片思いで苦しんだ経験がある方がいらっしゃるかもしれません。
 ところが「片思い」でもすごく幸せな時があるのです。そんなことがあるのだろうか、と思われますか?簡単です。赤ちゃんを育てている頃を考えてみて下さい。赤ちゃんが出来ることは殆どありません。特に、生まれて一年以内の赤ちゃんは完全に依存状態といって良いでしょう。そんな状態でも、お母さんは、睡眠も十分に取れないとしても、自分の自由な時間が削られるとしても、愛情を注ぎこんで育てます。とても男性には出来ない凄みを感じる程です。そしてそれでもお母さんは大抵幸せです。
このような「愛し方」があるのです。相手が何を言って、何を行っているのかを問い続けるのではなく、ただ一方的に、徹底的に愛する姿。そんな姿が神様の愛の姿です。「わたしがあなたがたを愛したように」とは神様が私達を一方的で、無条件に、無尽蔵に愛したように、ということです。それでいて神様はかえりみを求めるわけではありません。
人間は、何歳になっても、一方的で、無条件で、無尽蔵に愛して貰いたいと願います。そのように愛されていると感じられる時、また一つ自信を持って成長出来るのだと思います。そして、徹底的に愛されていると思える人こそが、また、その同じ量の「愛」でもって、相手を徹底的に愛することが出来るようです。そんな「愛」をドレーパー記念幼稚園も、多くの子ども達に注いでいきたいと願って来ましたし、これからもそうありたいと願っているのです。